ギターと歌の音曲漫才で知られる名物コンビ、平和ラッパ・梅乃ハッパの3代目平和ラッパ(へいわ・らっぱ、本名生井博司=なまい・ひろし)さんが5月5日、呼吸器不全のため大阪市内の病院で亡くなっていた。79歳。吉本興業が11日、発表した。

亡くなった当代は3代目。「ラッパ」の系譜は-。

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「平和ラッパ」の名前は上方漫才で3代受け継がれた由緒あるもの。現代の漫才界でこのように芸名が継承されるのはまれで、それほど「ラッパ」が広く愛されたことの裏返しでもある。

初代ラッパは、戦前から戦中にかけて大阪や神戸の寄席に出演。相方の初代日佐丸は浪曲出身で、途中漫才へと転向。ラッパ・日佐丸のコンビで売り出した。この当時からラッパは「アホ」として人気者だった。

終戦の前後、初代のコンビは相次いで死去。代わって2代目平和ラッパが登場した。この2代目が「アホ」で大人気。おかっぱ頭に愛嬌(あいきょう)ある出っ歯がトレードマークだった。

「天王寺の亀がなあ…」の名調子が有名。散々アホっぷりを披露した後、相方の日佐丸が「こんなん連れてやってますねん」と嘆くと、ラッパが「気ぃ使いまっせー」と人ごとのようにボケるのが定番。日佐丸が「それは僕が言うねや」とあきれ顔を見せた後、2人で「ハハーッ、さいならー」と締めくくって爆笑を取った。

2代目ラッパのアホぶりは故藤山寛美さん、大村崑とともに「大阪3大アホ」と称されることもあった。コンビの漫才はテレビや寄席で人気を集めた一方、ラッパの個性が強すぎるゆえ、日佐丸は長続きせず、4人が相次いで相方を務めた。

2代目ラッパは、舞台上のアホ役とは対照的に、ふだんはもの静かで周囲に気を使う人だったという。

亡くなった3代目は、2代目の芸に熱中し、弟子入り志願。2代目が75年に病死した後、87年に襲名し「平和ラッパ・梅乃ハッパ」として活動した。芸風はアホを売り物とせず、ギターを演奏しながらの歌謡漫才で人気だった。ギター漫才の芸を貫いた。