23年3月28日に71歳で亡くなった、音楽家の坂本龍一さんが、東日本大震災復興支援のために13年に立ち上げて音楽監督を務めた、東北ユースオーケストラが31日、東京・サントリーホールで演奏会「坂本龍一監督追悼 東北ユースオーケストラ演奏会 2024」を開催した。

東北ユースオーケストラは、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の小学生から大学生までを集めた楽団。被災地の学校の、楽器の点検、修理のプロジェクトがきっかけで、13年に宮城県松島町で開かれた音楽祭「Lucerne Festival ARK NOVA 松島2013」で、坂本さんが音楽家の大友良英氏と共演したことで企画された。翌14年には、坂本さんが社団法人化して音楽監督に就任も、同年7月に中咽頭がんを公表して活動を休止。翌15年に団員を公募し、集まった105人が練習を続け、16年3月に都内で第1回演奏会を開いた。

この日は「ラストエンペラー」からアンコール曲「ETUDE」まで全14曲中、13曲を坂本さんが作曲した楽曲で構成。坂本さんと海外で朗読を行うなど親交が深く、16年から朗読で参加する吉永小百合(79)が、7回目の朗読を行った。吉永は東日本大震災で被災した福島市の詩人・和合亮一さんの詩をはじめ5人の詩を、15年の主演映画「母と暮せば」(山田洋次監督)で坂本さんが手がけた劇中歌などをバックに詠み上げた。

坂本さんは、23年3月26日に同所で開催した前回は、21年1月に公表した直腸がんの闘病中だったため欠席し、用意された配信でリアルタイムで公演を視聴。約2時間15分の公演の終演後、オーケストラに向けて

「Superb! Bravissimo(拍手×5)素晴らしかった!! よかったです。みんなありがとう(拍手×3)お疲れさまでした■」

とメッセージを送った。楽屋のホワイトボードに書き込まれたメッセージに、関係者は喜んだ。ただ、2日後の同28日に坂本さんは力尽きた。

吉永は終演後、日刊スポーツなどの取材に応じる中で1年前を振り返り「オンラインで見ていてくださって、音楽を聴きながら指揮をされたと。坂本さんの東北ユースオーケストラへの思い、気持ち、温かさは最後まで続いていたと思う」と、当時の坂本さんの様子を明かした。一方で「その時(坂本さんは)相当、厳しい状況で、もし途中で何かあったら、どうしよう…絶対、黙っていようと思っていた」と、坂本さんの状況が厳しかったと振り返り「2日後に亡くなった。私たちに大きなものを残してくださった」と、坂本さんに感謝した。

そうした経緯もあり、吉永は「(オーケストラの)皆で言っていたんですけど、天井の向こうに、坂本さんがいるって…」と言い、涙した。そして「神は意地悪で、坂本さんを、あんなに早く天国に迎え入れた…悔しい」と坂本さんの死を、改めて惜しんだ。一方で、岩手、宮城、福島出身の小学6年から大学院修士までの団員とOB、OG計91人らの演奏を「監督のことを思って、心配をかけないように頑張った」とたたえた。

この日は、坂本さんが2000年(平12)から愛用してきたピアノも坂本さん好みに調律し、檀上で音を奏でた。ピアニストの中野翔太氏が「戦場のメリークリスマス」を演奏した際、坂本さんが22年9月中旬に無観客で事前収録し、同12月11日正午(日本時間)に世界約30の国と地域に配信したピアノ・ソロ・コンサート「Ryuichi Sakamoto:Playing the Piano 2022」の映像が流れ、映像の中の坂本さんとの“共演”も実現した。

吉永は「中野さんも、大変だったと思うけれど、喜んでやってくださった。大変なこと…普通、あり得ない」と中野氏をねぎらった。そして「こちらに降りてきてくださっている感じがしました。絶対に届いていますね」と、坂本さんの存在を感じたと語った。

東北ユースオーケストラは、来年以降も演奏会の継続開催を目指しており、音楽監督・坂本龍一の名も、そのまま残る。吉永は「資金は、あまりないみたいですけど、お客さまとメディアの皆さまにも協力いただき、音楽であの時の思いを残していくのは大事」と支援を訴えた。

この日の演奏会は、元日に発生した能登半島地震の被災地・富山県氷見市の氷見市芸術文化館でも、ライブビューイングが実施された。