初代林家三平さんの妻でエッセイストの海老名香葉子さんが、老衰のため24日に死去したことが29日、分かった。92歳。海老名さんが堂守を務めていた「ねぎし三平堂」の公式サイトで発表された。
喪主を務めた長男、林家正蔵(63)の名前で発表文を掲載。「母 香葉子 クリスマスイヴの晩 穏やかに旅立ちました。終戦からの激動の時を強く生きてきました。根っからの江戸っ子 情に厚く 涙もろく まっすぐな気性 九十二歳の大往生でした。生前 ご厚意を賜り心より感謝いたします」と伝えた。
香葉子さんは12月24日午後8時38分、老衰のため死去した。故人の遺言により、29日に家族葬を執り行った。来年1月9日に東京・東叡山寛永寺でお別れの式を行うという。
香葉子さんは11歳の時に東京大空襲で6人の家族を亡くし、戦災孤児となった。その後、三遊亭金馬の養女となり、52年に18歳で林家三平さんと見合い結婚。“昭和の爆笑王”へと上り詰めていく三平さんを妻としてサポートした。
80年に三平さんが死去した後も、林家一門のおかみさん、海老名ファミリーの中心として存在感を発揮。自伝エッセー「ことしの牡丹はよい牡丹」はベストセラーとなり、三平さんとの半生は「ことしの牡丹はよいぼたん」(83年、池内淳子、穂積隆信)、「林家三平夫人物語 どうもすいません!」(92年、有森也実、渡辺徹)などたびたびドラマ化された。テレビ朝日「アフタヌーンショー」、日本テレビ「うわさのスタジオ」(日本テレビ)のレギュラーとして人気を集め、増位山大志郎のヒット曲「そんな夕子にほれました」の作詞でも知られる。
東京大空襲で家族を失った経験から、平和を訴える活動を生涯にわたって続けた。05年に東京・上野に慰霊碑と母子像を建立。毎年、大空襲の前日である3月9日に供養の式典を開催してきた。今年は三平さんの生誕100周年の年でもあった。
◆海老名香葉子(えびな・かよこ)1933年(昭8)10月9日、東京・本所生まれ。釣り竿の名匠「竿忠」の末娘。20年の東京大空襲で家族6人を失い戦災孤児に。「竿忠」の顧客だった三遊亭金馬の養女となり、52年に初代林家三平と結婚。海老名美どり、泰葉、林家正蔵(林家こぶ平)、林家三平(林家いっ平)の母としても知られる。ねぎし事務所代表取締役。



