18日に7回目の干支(えと)、84歳の誕生日を迎えた高嶋ひでたけさんのお誕生会が19日、東京・銀座のビストロカズキで行われた。高嶋さんのYouTube「高嶋ひでたけのイキナリ!ひでチャンネル」に出演している縁もあって、2日前に司会の大役を命じられた。

インタビューするのが本業だからしゃべるのは好きなのだが、理想とするのは黒柳徹子(92)、平野レミ(79)の両巨頭。つまり自由にしゃべって、その合間に質問をするスタイルだ。

しかも、還暦過ぎの年波もあって、滑舌の悪いこと、この上ない。でも、しゃべるスピードだけはノンストップで、若い時のまま。仲間内の会合でもチャカしたり、合いの手を入れるのが役目で、これほど司会に不適合な人間はいないと自負している。

高嶋さんは1965年(昭40)にニッポン放送に入社して、野球の実況中継、オールナイトニッポンのDJ(当時はパーソナリティーではなくDJ)をこなした。山口百恵の番組「山口百恵のモモモモ30分」のパートナーを務め、80年10月5日に行われたファイナルコンサートでは実況を担当した。

「高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団」「高嶋ひでたけ・森田耕次のキニナル・サタデー」のパーソナリティーを務め、いまだに「オールナイトニッポン月イチ」の生放送をこなす。

“しゃべりの達人”である高嶋さんの前では、誰がしゃべってもしょうがないということで、酔っぱらいすぎないことと、いつもの2倍ゆっくりとしゃべることを肝に銘じて司会を務めた。案ずるより産むがやすし。節目、節目の紹介だけすれば、あとは高嶋さんが立て板に水、ご自分で話を進めていった。

高嶋さんとともにメインステージに座ったのが、野口医学研究所の創立者である同じく84歳の浅野喜久さん。こちらは2月25日の早生まれで、高嶋さんより1学年上だ。元気な84歳の2人の前では“若作りだけが唯一の取りえ”である記者も気押され気味だ。

誕生日を祝うために集まってリスナーの皆さまには、高嶋さんのラジオ番組との出会い、思い出を話していただいた。遠く山形・米沢から新幹線でやって来た熱烈ファンもいた。

記者が高嶋さんの番組と出会ったのは、1974年(昭49)4月に始まった「大入りダイヤルまだ宵の口」。月曜から金曜まで午後8時から深夜O時のワイド番組。ちょっとエロい「ヤング・スキャット」「ザ・パンチ・パンチ・パンチ」、萩本欽ちゃんの「欽ドン!」、「かまやつひろしのライオン・フォーク・ビレッジ」も、この番組の中だった。当時の高嶋さんはヒゲを伸ばして長髪。ラジオネームは「高嶋ヒゲ武」と名乗っていた。

この番組を毎日、しっかり聞いて、その後の時間も「かぜ耕士のたむたむたいむ」、「オールナイトニッポン」1部、2部と朝の5時までラジオ漬け。勉強をしてる振りこそしたが、朝の7時には満員電車に乗って中学に通っていたのだからあきれる。

50年もたって、高嶋さんにお相手していただけるのは、うれしい限りだ。その高嶋さんは、誕生日直後の19日深夜3時に「オールナイトニッポン月イチ」の生放送に出演。

「俺はさ、80過ぎちゃってもさ、声だけは鍛えてるから」と笑う高嶋さん。radiko(ラジコ)という便利なものもあります。ぜひ、聞いてみてください。