中日谷繁元信兼任監督(44)が、野村克也氏(80)の持つプロ野球記録3017試合出場に並んだ。ヤクルト15回戦の7回からマスクをかぶった。島根・江の川から大洋(現DeNA)にドラフト1位で入団、27年目で大記録に肩を並べた。
引退から35年目を迎えた野村氏は「俺の記録にそんなに価値はない。プロで長くやっていたという証明になるくらいだ」。球史に輝いてきた金字塔を独特の“野村節”で振り返った。
1954年、テスト生として南海(現ソフトバンク)に入団した。だが、実際の扱いは投球練習専門のブルペン捕手。「朝から晩まで受けるだけ。打撃もさせてもらえない」。やっとマスクをかぶっても投手がサインを無視してばかり。困難を乗り越えながら名捕手への階段を上っていった。
のちに「ID野球」が代名詞になるほどに、打者との駆け引きにデータを重視した。現役時代、投手には「ストライクさえ投げれば、あとは俺が何とかする」と声を掛けていた。
一般的に激務とされる捕手。重要性も誰より熟知している。「守りにおける監督の分身」。選手兼任監督としても谷繁選手の大先輩で、8年間も正捕手と指揮官を掛け持ちした。「打たれると、どうしても気持ちを引きずったままベンチに戻る。そこからの采配は(気持ちの)切り替えが難しい」と経験談を語る。
また、昔より野球が複雑化している点を懸念。「俺らの時代ならまだできたけど、兼任なんて今じゃ手が回らない」と指摘し「優秀な助監督が絶対に必要」とヘッドコーチの重要性を強調。それでも、今季は出場を抑える谷繁選手に少し不満げな様子。「休みすぎ。俺はずっと出ていた。プレーイングマネジャーと言うからには試合に出続けないと」とぼやきながらエールを送る。
歴代1位の座から降りることは確実だが「これからも(記録を更新する選手が)出てくるんじゃないの。今の野球選手は幸せだ。食生活にしろ、環境に恵まれているから」と後輩たちの活躍に期待している。



