右膝の手術から復活を遂げたソフトバンク寺原隼人投手(31)も優勝の味をかみしめた。今季は5月に1軍に昇格後、20試合に登板し、8勝2敗2ホールド、防御率3・01の好成績。開幕7連勝もマークするなど先発、中継ぎでフル回転した。一時は引退も覚悟した右腕が、苦闘の日々を思い、歓喜に胸を熱くした。
この瞬間を待ちわびていた。寺原は胴上げの輪に加わると、満面の笑みで力強く跳びはねた。昨年はわずか1勝。5月に右膝を手術し、戦列を離れた。優勝も素直に喜べなかった。それだけに、今年は格別だ。
「ホークスで優勝したくて福岡に戻ってきたのに、優勝が目の前にあるこんな強いチームで投げられない。もう情けなくて…。手術はイチかバチかで引退も覚悟したけど、もう1度投げられるようになるためにはこの選択しかなかった。ここまで投げられるようになって本当によかった」
昨年は優勝決定日に、手術後初めてブルペン入りした。帰宅後は、優勝シーンが映し出されるテレビに顔を背け、チャンネルを変えた。CS、日本シリーズにも無関心を装った。ビールかけには参加せず、優勝旅行も断った。「罪悪感もあった。成績も残してないのに参加するのが嫌だった」。
14年のプロ野球人生。膝を故障し、引退した選手を何度も見てきた。手術の話は12年から出ていたが、引退を恐れ、拒み続けた。だが「投げていて全然面白くないし、球もいかない。力も抜ける。手術をしても、思うように投げられなかったら引退が近いのかなと思ったけど、このままではダメだと思った」。手術を決断した。妻に報告すると黙ってうなずいた。手術は全身麻酔。「起きたら終わっていた」。そこから、長くてつらいリハビリが始まった。
最初は、階段すら満足に上れない日々が続いた。膝を曲げるトレーニングをしようにも、薄っぺらい重りを1枚乗せるだけで力が入らない。「日常生活ですらこれなのに、もう1度投げられるようになるんだろうか…」。不安が夢に出てくることも1度や2度ではなかった。「引退間近の自分がいるんですよ。もう終わりかなって。でも、そんな夢を見たなんて、嫁になんて言えなかった…」。
家族も寺原に気を使い、野球の話題を避けた。「僕だけでなく、家族も不安の中で生活していた」。父が試合で投げられないことで、小学校に通う長男が心ない言葉を浴びせられたこともあった。「福岡の男の子はホークスファンも多いし、子供は正直に思ったことを言う。僕たちは何を言われているか分からないけど、子供も我慢しないといけなかった」。息子にまでつらい思いをさせている自分が情けなかった。
右膝は手術前よりも可動域は狭く、今も正座はできない。それでも病院で毎週、注射を打ち、たまった水を抜いて、マウンドに立ち続けた。中継ぎに回っても、チームのために腕を振った。
初めての優勝は入団2年目の03年だった。「あの時はすごい打者がたくさんいたし、城島さんのサインにうなずいて、がむしゃらに投げるだけだったから」。まだ19歳。ビールかけも1人だけ炭酸水だった。20歳で迎えた日本シリーズはベンチ外。それだけに、この日浴びたビールの味は格別だった。
「今年は優勝旅行に家族を連れていこうと思っているんです」。オリックスからFAで古巣に戻って3年目。苦労をともにした家族とともに、優勝の喜びに浸るつもりだ。【福岡吉央】
◆寺原隼人(てらはら・はやと)1983年(昭58)10月9日、宮崎市生まれ。日南学園3年夏の甲子園、玉野光南戦で当時高校生最速の158キロを計測。01年ドラフト1巡目でダイエー(現ソフトバンク)入団。06年オフに横浜、10年オフにオリックスへ移籍。07年、11年に自己最多12勝を記録。12年オフにFAでソフトバンク移籍。179センチ、83キロ。右投げ右打ち。家族は夫人と1男1女。



