気持ちを前面に押し出した姿が印象的だった。熱血漢で知られる星野仙一氏が70歳で死去したことが6日、分かった。投手として146勝、監督として史上10位の1181勝。輝かしい実績の裏には「宿命のライバル」と呼ぶ巨人の存在が常にあった。

 1968年のドラフト会議で指名を約束していたという巨人が島野修投手を選び「星と島を書き間違えたのではないか」と憤った逸話は有名だ。以後、中日の一員として宿敵から通算35勝をマーク。74年には巨人のリーグ10連覇を阻み沢村賞を獲得した。

 監督としてもライバルを意識し続けた。中日で2度、阪神で1度、リーグを制しながら日本一を逃していたが、4度目の挑戦となった2013年、楽天を率いて巨人を第7戦の末に破り初の日本一に輝いた。就任1年目の11年に本拠地の東北が東日本大震災に見舞われ、被災者のために勝利を求め続け、ようやくつかんだ栄冠だった。

 勝つためには非情な決断も下した。阪神の監督時代、1年目の02年に失速して4位に終わるとオフにベテランを大量に自由契約にして「血の入れ替え」を敢行。大型補強で翌年のリーグ優勝につなげた。一方で、プロ初勝利を挙げた投手には時計を贈るなど気配りの人だった。自分の考えを正確に伝えるために、遠征先では毎朝、担当記者を集めて数時間のお茶会を開く繊細さもあった。

 昨年12月1日、大阪市内で開かれた野球殿堂入りを祝う会。最後のあいさつで「私の夢は甲子園で楽天と阪神が日本シリーズをやること。生きている間にやってほしい」と話したが、その夢はかなわなかった。