日本ハムは、OBで選手、コーチとして活躍した柴田保光氏が9日午後5時半ごろ、埼玉県内の病院で不整脈のために死去したと10日、発表した。65歳だった。

葬儀は通夜は13日午後6時、告別式は14日午前10時半から、シティホール清瀬(東京都東村山市青葉町1-22-3)で、家族葬で営まれる(一般の弔問は辞退)。喪主は妻晴美(はるみ)さん。

長崎に生まれ、島原農、丹羽鉦電機、あけぼの通商を経て、78年に西武にドラフト2位で入団。83年オフに江夏豊との1対2のトレードで日本ハムに移籍すると才能が開花した。スリークォーター気味の投球フォームで技巧派としてスタイルを確立し、85年に11勝、86年に14勝を挙げた。

90年4月25日の近鉄戦(東京ドーム)では平成初となるノーヒットノーランを達成。1四球を与えたが、打者27人を相手に達成した準完全試合だった。同年も12勝と3度目の2ケタ勝利を挙げ、ローテの軸として奮闘した。

94年のキャンプイン寸前に心臓疾患で緊急入院。復帰を目指したが、同年で引退を決断した。通算346試合で84勝97敗13セーブ、防御率3.49。95~97年には投手コーチを務めた。