西武A班(1軍)の南郷春季キャンプは14日、第2クールが終了した。日米通算170勝を誇る球団OB松坂大輔氏(42)の臨時コーチ期間も終了した。

4日間滞在した松坂氏の姿を、少し離れて眺める球団スタッフがいた。南和彰打撃投手(41)だ。巨人でも3年間プレーした南さんは、いわゆる“松坂世代”の1学年下にあたる。思い入れが強い。

「松坂さんが高校野球であれだけすごかった時期に高校野球をやってる学年って、1つ下と2つ下だけじゃないですか。小学校や中学校の時に見てました…とはちょっと違いますよね、目線が。年が1つしか変わらないのに、150キロ投げる高校生がいるっていうのは衝撃でしたよね、同じ右投手で」

98年春、甲子園で投げる横浜高校のエースはすごかった。当時、神港学園(兵庫)の2年生右腕で直球は120キロ台。チームの投手陣全体でも「6番目とか7番目とか…」という立ち位置だった南さん。甲子園中継に映る背番号1に魅了された。横浜と対戦した報徳学園(兵庫)の選手に、松坂氏から安打を放った金属バットがへこんでいた、という逸話を聞いたという。

投球フォームをマネするようになった。

「僕らの時代って、プロ野球中継を見て、たとえば桑田さんがどんなフォームで放ってるとか見て、マネるじゃないですか。当時はYouTubeとかない時代なので、ビデオで録画して見るしかなくて。録画して見る、の繰り返しで。横浜高校の試合は全試合、VHSに録画しましたね」

スロー再生、巻き戻し、一時停止。すり切れるほど眺めた。「なんであんな速い球が投げられるのか。変化球は切り方をスローで見ました。何回も何回も見た上で、流れやリズムをマネていく感じですね」。自身で再現していくうちに、気付いたことがある。

「筋力が足りないと、あのフォームにならないんです。あの筋力、関節の柔らかさ。いろいろ備わっているから、この人はこのフォームで投げられているんだというのが出てくるんですよ。やってみたら、その人のすごさが出てくるんです。マネできない部分ってありますから、絶対に」

福井工大に進学したころ“松坂似”のフォームが確立された。1学年先輩の捕手が、横浜高校時代に松坂氏のブルペン捕手を務めていたことを知った。「捕ってもらったんです、1年生の時に。そうしたら『お前、松坂みたいだな』って言われたんですよ。それが一番うれしかったです」。

04年に入団した巨人では1軍登板も果たしたが目立った活躍はできず、独立リーグなどを経て、15年から西武の打撃投手を務めている。20年と21年は、西武復帰した松坂氏と球団在籍が重なっている。しかし…。

「松坂さんとは全く話していないです。僕らからしたら憧れ目線です。引退試合の時にサインをいただいて、写真も撮らせていただきました。親にも『野球やってて良かったね』と言われました(笑い)」

わずかな接点ながら、青春時代に背中を追った存在はやはり、格別だ。

「そりゃもう、話したいどころか、なんなら後ろにずっと付いて回りたいくらいの領域です。僕らからしたら。ずっと見てましたから」

今回もあえて近づかなかった。ひたすら自分の仕事に徹する。でも、懐かしくなったのだろうか。1球だけ、プロ入り当時の“松坂似”でシャドーピッチングをしていた。【金子真仁】

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