北別府さんとともに-。広島のエースとして通算213勝を挙げ、16日に65歳で亡くなった北別府学(きたべっぷ・まなぶ)さんの葬儀が19日、広島市内で営まれた。18日に同所で営まれた通夜に、新井貴浩監督(46)や大瀬良大地選手会長(32)らが参列。16日西武戦(マツダスタジアム)の勝利球を北別府家に贈り、球団の黄金期を支えた名投手に、カープの新時代を築き上げることを誓った。

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マウンドを死守する勇姿があった。ユニホームを脱いだ後の、穏やかでおちゃめな笑顔もあった。どれも、北別府さんの歴史だった。葬儀場内に飾られた在りし日の写真を、新井監督らは見て回った。カープにささげた故人の思いを心にとどめ、リーグ戦への気持ちを新たにした。

覚悟を明かしたのは指揮官だ。びっしりとサインが書き込まれた勝利球を家族に渡し「北別府さんがずっと天国から私たちを見守ってくれていると思いながら試合を日々戦っていきたいと思います」と奮闘を誓った。

エースで選手会長の大瀬良は、丁寧に言葉を紡いだ。「まだまだ全然及ばないですけど、少しでも一歩でも近づけるように頑張っていきたい。1日でも1年でも長く続けて、少しでも北別府さんに近づけるように、一生懸命精進していきたいと思います」。北別府さんは鹿児島、自身は長崎の違いはあれど、同じ九州人として思い入れは強かった。

同郷の松山は涙が止まらなかった。「1日でも長く1年でも長くプロ野球選手を続けられるように頑張ってくれと、いつも言われていた。見守っていてもらいたいです」と涙をぬぐった。中崎も「少しでも多くの勝利を届けられるように精いっぱいやっていきたい」と力を尽くす。

20番の継承者でもある栗林は「北別府さんのカープ愛を背負って、北別府さんに20をつけて良かったと言ってもらえるように活躍、成績を残せたらいいかなと思います」と重みをかみしめた。今季はここまで6敗と苦しむ。それでも北別府さんの闘病生活を耳にし「自分が野球をやっていてつらいと思うのは小さなことだと思った。野球に集中して、本当にいい姿を見せられるように、これからも努力して戦っていきたい」と前を向いた。厳しくて温かかった大投手のまなざしを思い、カープが23年を戦い抜く。【堀まどか】

▽山本浩二氏 非常にいい意味で我が強いというか、気が強いというか、それほど野球、投手に対しての情熱というかね、センターから見てよく分かりましたね。いろいろな症状を聞いているとね、よく頑張った。もう楽になっただろうから、あっちへ行って楽なピッチングをしてください。

▽前田智徳氏(目を真っ赤にしながら)「回復されてお会いして、話をする時間がくると信じていた。今は信じられない思いです。期待を背負って見事に野球に打ち込まれた。本当にご苦労だったと思いますし、引退されてからもカープ一筋で応援をしていただいて、本当にお疲れさまですという思いしかありません」

▽安仁屋宗八氏「選手時代はちょっと頑固でね、友達も作らず一匹おおかみ、そういう感じでずっとやってきたんですよ。ただユニホームを脱いでからはね、ボランティアへ行ったり、少年野球を教えたり、農業、畑仕事したりですね。いろんな優しさがね、全面的に出たのが北別府じゃないかなと思うんですよね」

▽大野豊氏「思い出はたくさんありますけど、200勝を達成した92年7月16日でしたかね。最後、私が投げて彼が200勝を達成。最後にリリーフの方々には迷惑かけましたけど、本当にありがとうございました、という彼の一言、感謝の気持ちというのは今でも忘れませんよね」

▽山根和夫氏 気の強い投手。頭のいい投手だった。最終的な成績は、あんたにライバルと言われたくないというぐらい差があるけど、やっぱり負けたくなかったね。北別府が投げて勝ったなら、自分も絶対に勝ちたい。そう思わせてくれる存在だった。

▽広島永川勝浩2軍投手コーチ「(北別府さんと同じ背番号20をつけた時は)怖かったですよ。(当時)コーチでしたから。こわごわと付けていましたけど、それを堂々と付けられるようにしてくれたのも北別府さんだと思っています」

▽オリックス水本勝己ヘッドコーチ 北別府さんは私の恩師。当時の投手の方々には、いろんなことを教えていただいて、プロ野球人として成長させていただきました。向こうには(元監督の)三村さんもおられる。野球談議を楽しまれることと思います。

▽緒方孝市氏(元監督で日刊スポーツ評論家)「北別府さんとは同じ九州出身で、担当スカウトも同じ。ファミリーのように接していただきました。(監督時代に)25年ぶりに優勝した時には、グラウンドまで降りてきて喜んでくださった。その姿が忘れられません」

▽北別府広美さん(19日に公表したファンへのメッセージの抜粋)「夫は野球選手を引退した後、やりつくし症候群とでもいうのでしょうか、気が抜けたような日々を過ごしていた時期がありました。それが、広島ホームテレビのみなさんと一緒にお仕事をさせていただくようになってからは、仕事も、家族と過ごす時間も本当に大好きになり、楽しんでくれるようになりました。何より、ファンの方々のありがたさを実感するようになったと思います。野球解説と番組出演の復帰を果たすため、夫は病との闘いに頑張ってまいりましたが、やっと楽になりました。これまで北別府学を愛し、応援し、支えてくださったみなさまに心からの感謝を申し上げます」