快よ、下位から頑張らんカイ! 阪神川藤幸三OB会長(74)が、育成ドラフト1位の松原快投手(24=日本海L・富山)に、下位からの成り上がりを求めた。13日、鳴尾浜での新人合同自主トレを視察。新人たちからあいさつを受けて練習を観察。目に留まったのが最速156キロ右腕、松原の走りだった。「なにわの春団治」らしく、独特の言い回しで期待を口にした。

「3人で走っとる、一番鈍くさい子がおるやろ? ああいう子が今度、実戦的な練習になってゲームになった時にどう変わっていくか。実戦の中でどんな良さを持ってるかが、見どころでもあるわけや」

プロに入れば1位も下位も関係ない。川藤会長自身が1967年(昭42)の9位指名からはい上がり、19年プレーし、代打の切り札として活躍した。「ワシなんか、ドラフト9位やったから余計そう思うんや」と愚直な姿をダブらせた。

近年の阪神は5位の青柳と6位の岩崎、中野ら下位指名選手も主力に育っている。川藤会長は「下位やったらダメっちゅうことは絶対ない。入ってからが本当の勝負」と背中を押す。

松原は社会人ロキテクノ監督で、阪神OBの藤田太陽氏(44)から、人気ドラマ「ルーキーズ」の登場人物は阪神の選手らがモデルになっていると聞いていた。「ルーキーズの川藤(監督)さんって、(モデルは)川藤さんですよね?」と興奮気味。「はい上がってほしいとおっしゃられたと聞きました。期待に沿う活躍をしたいです」。1年目で支配下契約を勝ち取り、新・虎の春団治になる。【高垣誠】

◆川藤氏の現役時代 67年ドラフト9位で若狭高(福井)から入団。1年目の68年に遊撃で3試合に先発出場し、10月10日中日戦(甲子園)では松本忍から初安打初打点となる初本塁打を放った。その後、俊足を買われ、外野手に転向。74年には同年セ最多の20犠打を決めた。75年の春季キャンプで、アキレス腱(けん)断裂寸前の大けがを負い、代打の切り札に転じた。83年に引退勧告を受けたが志願が実り残留。86年には初の球宴出場を果たし、第2戦で代打安打も二塁を欲張り、アウトになって沸かせた。同年引退。阪神での代打通算85安打は4位、73打点は5位、11本塁打は3位。通算771試合、211安打、16本塁打、打点108、打率2割3分6厘。

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