元早大監督の石山建一氏(81)が、大学時代の教え子の岡田監督がマークした虎将単独最多の515勝を祝福した。

勝利数を超えた藤本定義氏も早大OB。「藤本さんもすごく、投手のローテーションを大事にされていた方だと聞いたことがあります」。岡田監督もローテを大切にする戦い方とあって、継承されていた共通点に感慨深げだった。

思い出に残るのは1球への執念だったと振り返る。三塁へのコンバートを見据え、1年秋から練習を開始したが、三塁線へのノックに飛び込んだ際に膝を打って負傷した。打撃に影響があっては困ると、石山氏は「三塁線へ飛び込むな!」と指令したが、岡田青年はうなずかなかった。「ケガをしないので飛び込ませてください。ダイビングキャッチを許してください」。野球ノートに力強く記し、提出してきたという。

おとこ気に石山氏も応えた。キャンプでは1年時から「主将部屋」に入れて英才教育。「ちゃんとしたリーダーにしよう」と毎年主将部屋に入れた選手は、後にも先にも岡田監督1人だった。「親分肌です。上下関係や言葉遣い、先輩を立てることを後輩にもしっかり指導していました」。

忘れられない言葉がある。毎年12月に早大同期と行う親睦ゴルフ。旧友に話す岡田監督の声が聞こえてきた。「俺は高校時代、大した選手じゃなかった。石山さんにイチから野球を教わった。足を向けて寝られない」。教えてきたことは間違いではなかった。

称賛するのは「野球の偏差値」だ。「普通にやればいい、という普通のレベルが高いんです」。もっともっと勝ち続ける姿を、楽しみにしている。【磯綾乃】

◆石山建一(いしやま・けんいち)1942年(昭17)9月6日、静岡県生まれ。静岡高では春夏連続で甲子園に出場。早大に進み、64年春に7季ぶり優勝に貢献。入社した日本石油では助監督も務め、73年に現役引退。74年から早大監督に就任してリーグ優勝、大学日本一に輝き、大学日本代表監督も務めた。79年からはプリンスホテルで助監督、監督を務め、95年には巨人編成本部長補佐兼2軍統括ディレクターに就任。現在は高校球児の指導などを行う。

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