阪急で強打の外野手として活躍し、阪神の2軍監督などを務めた石井晶氏(いしい・あきら)が15日に死去した。73歳。告別式は17日正午から、宝塚市栄町2の10の13、大林寺会館で営まれる。喪主は長男基夫(いしい・もとお)氏。密葬のため、参列ならびに弔電や供花は辞退する。

 石井氏は東京都生まれ。足立高(現足立学園)から東京鉄道管理局を経て、60年に阪急へ入団した。64年には4番を打つなど、現役時代は通算1262試合で780安打51本塁打316打点、打率2割5分。71年の引退後は阪急、ヤクルト、阪神で主に打撃コーチを務め、90年は阪神2軍監督に就任。92、94年には中村勝広監督(現GM)のもとチーフコーチとなった。その後は、社会人野球などでも指導した。CS放送で阪神戦の解説を務めた。

 2軍打撃コーチとして阪神に入団したのは85年。和田監督は入団1年目から指導を仰いだ。訃報に接した16日巨人戦の試合前に「体調を崩されていたことも知らなかったので驚いています。ここ2年くらいお見かけしなかったので、どうしたのかなと話していた」と話した。

 こわもてながら誰からも愛される温和な性格だった。選手の立場にたった熱心な指導で信奉者は多く、92年に1軍デビューした亀山、新庄も師匠として慕っていた。ニックネームは怪獣からとった「ゴジ」で「わしは松井(秀喜)より先にゴジラと呼ばれとったんや」と豪快に笑っていた。

 和田監督も「頭ごなしに物言いする人ではなかったので、打撃のことを話してもらったり、こっちの話を聞いてもらったり。1年目から長くお付き合いさせていただいて…ご冥福をお祈りいたします」と出会いからを振り返り、哀悼の意を表した。