「熱海殺人事件」などで知られる劇作家つかこうへいさん(享年62)の愛弟子で脚本家の長谷川康夫さんが書いた「つかこうへい正伝 1968~1982」(新潮社)が面白い。記者は79年に初めてつかさんに会い、10年に亡くなるまで取材してきたが、この本にはつかさんの素顔、魅力がいっぱい詰まっている。

 特に、福岡の田舎から上京し、慶大に入学したつかさんが出会った女性とのエピソードがいい。女性の名前は作家堀田善衛さんの長女で文学部同期生の堀田百合子さん。学内で1人でいることが多かったつかさんが唯一心を許せる女性だった。堀田さんが北陸旅行に出掛けたところ、つかさんは友人の車でその後を追った。3日ほど行方を捜した末、朝に金沢駅で歯を磨いていると、遠くのホームに堀田さんが現れた。つかさんはその姿を見つめただけで、友人に「帰ろう」とひと言だけ告げて帰京した。

 今なら、ストーカーと言われそうだが、若き日のつかさんのいちずな思いが伝わってくる。後年、つかさんは舞台「広島に原爆を落とす日」に登場するヒロインの名を「百合子」とつけた。そういうロマンチストの顔もあった。

 つかさんのエッセーに「お見合いに奔走するも、結婚できない男」として登場させてもらい、長女が誕生した時は思いがけない額のご祝儀をいただいたこともある。厳しい一方で、気配りする人だった。実は結婚する時に仲人の予定だったが、披露宴前に夫人の妊娠が分かり、主賓で来てもらった。その時に生まれたのが、宝塚歌劇団娘役トップスターを経て、女優となった愛原実花さん。彼女は12月に父の代表作「熱海殺人事件」に風間杜夫、平田満とともに出演する。12月8日の初日にはどこかで、つかさんも不安げな顔で見ているだろう。【林尚之】