俳優坂上忍(51)がMCを務める、30日放送のフジテレビ系「直撃!シンソウ坂上」(午後9時)では、今月4日に78歳で亡くなった俳優津川雅彦さんの追悼特集を放送する。坂上は、家族ぐるみで30年以上の親交がある俳優奥田瑛二(68)に直撃インタビュー。スタジオには、数多くの作品で津川さんと共演した女優三田佳子(76)を招き、津川さんの生涯、そして妻・朝丘雪路さんとの波乱に満ちた夫婦生活の真相に迫る。

父は歌舞伎役者から映画俳優に転身した戦前の大スター・沢村国太郎、母は「日本映画の父」とも呼ばれた牧野省三の娘で女優のマキノ智子、兄は天才肌の名優・長門裕之という典型的な芸能一家に育った津川さん。奥田は、坂上のインタビューで、津川さんにひかれる理由を聞かれると「挫折」と意外な答えを返す。名優の名をほしいままにした津川さんも、デビュー当時は撮影所をたらい回しにされ、兄の長門と比較をされ、どん底の日々を過ごしていた。そんな境遇からはい上がった津川さんを、奥田は死ぬまで見ていたいと思ったと振り返る。

津川さんは、1956年(昭31)の映画「狂った果実」(日活)で、石原裕次郎の弟役で本格デビューを果たして脚光を浴びる。だが、その後は低迷。兄の長門さんと常に比較されることにも悩んでいた。番組では、長門と津川さんが共演した貴重なトーク番組の映像を入手、津川さんが兄・長門裕之に抱いていた率直な思いが明らかになる。

その後、津川さんは「必殺仕掛人」(72年9月~73年4月)で、二枚目俳優から悪役へと転身しブレーク。その後も重厚で卓越した演技力で数々の賞を受賞して、日本を代表する名優となった。

今年4月に82歳で亡くなった、津川さんの妻、朝丘雪路さんは、「美人画」の傑作を数多く発表した日本画家の巨匠・伊東深水を父に持つ、生粋のお嬢様。朝丘さんは、宝塚歌劇団で娘役として活躍した後、女優に転身。持ち前の歌唱力でNHK「紅白歌合戦」にも出場するなど、マルチな才能を発揮した。津川さんと朝丘さんは73年に結婚。翌年には娘・真由子さんが誕生したが、生後5カ月の時に誘拐されてしまった。発生から41時間後に犯人は逮捕、真由子さんも無事に救出された。番組では、当時の映像をふんだんに交えながら、真由子さん誘拐事件を振り返える。

この誘拐事件をきっかけに、「世界一のパパ」になると決意した津川さんは、娘のためにオモチャの輸入販売会社「グランパパ」を設立。「グランパパ」は、最盛期には全国に20店舗を展開するまでに成長したが、会社設立から30年が過ぎ6億円の負債を抱え倒産の危機に陥る。この危機を救ったのが、妻・朝丘さんの驚きの行動だった。

津川さんの事業失敗の影響もあり、2人は結婚36年目で初めて別居という選択をする。しかし、その後、朝丘さんが「アルツハイマー型認知症」を発症、介護のために夫婦は再び一緒に暮らすことになった。津川さんの決断の裏には、認知症の妻・南田洋子を献身的に介護した兄・長門裕之の存在があった。南田の死から1年半後に彼女の後を追うように、長門は死んだ。津川さんは、朝丘さんが亡くなってから100日で、この世を去ることになった。この間に津川さんと食事をしていた奥田は、津川さんのわずかな変化を感じていた。そして、津川さんが亡くなる10日前に残した言葉を今回、初めて明かす。