プロ野球ドラフト会議が迫ると毎年、思い出す光景がある。2010年10月28日夕方、右手でガッツポーズ、まぶしいほどの笑顔がテレビ画面に映しだされていた。1位で4球団が競合した早大・斎藤佑樹投手の交渉権を、くじで引き当てた当時日本ハム球団社長の藤井純一さんだ。
球団社長1年目の06年にはヒルマン監督とともに、パ・リーグ優勝と44年ぶりとなる日本シリーズ優勝を実現させ、俗に言う「持っている社長」として有名になった。
記者は、藤井さんがJリーグセレッソ大阪社長時代によく取材をしていた。Jリーグとプロ野球の両分野で初めて社長を務めた人で、04年にC大阪を離れてからも連絡はさせてもらっていたが今回、久々に直接会うことができた。
現在はサッカースクール事業を手がける「ソルティーロ株式会社」(大阪・吹田市)の代表取締役社長。あのサッカー元日本代表本田圭佑選手が起業した会社で、藤井さんはトップを託されていた。藤井さんと本田がタッグを組んだことは、あまり世間では知られていない。
「取材で知り合ったライターの方が、僕のことを本田さんに推薦してくれた形でね。昨年4月から社長をさせてもらっています。周囲は30代の社員が中心です。僕がやることはいつでも一緒なんですよ。Jリーグもプロ野球も同じで、経営を成功させること。組織をしっかりさせ、社員のモチベーションを上げる。そして業績を上げる。それしかありませんわ」
屈託のない笑顔と大阪弁で、単刀直入のコメントが返ってきた。
公式ホームページによると、本田の「サッカーを通じて夢を持つことの大切さを伝えたい」という思いから、会社は12年5月に大阪で誕生した。現在は国内66校、海外8校まで拡大させ、約4500人の子どもにサッカーを教えているという。
本田は自身が実質的な監督を務めるカンボジア代表が、10月10日にアウェーでイランとW杯アジア2次予選を戦い、0-14で大敗していた。
「その朝もね、イランにいる本田さんと日本をスカイプでつないでスタッフ会議をしていたんです。本田さんは、非常に多くの考えを持った人です。いわゆるアイデアマン。そこがすごい」
今回はサッカー事業以外にも聞きたいことはあった。斎藤佑のこと、日本ハムのこともストレートにぶつけてみた。11年3月に球団社長を退任してから8年半がたつ。今年で31歳となった斎藤佑は2年連続で未勝利に終わった。退任後は球団アドバイザーを3年務めた藤井さんだが、今は肩書はない。あくまでファンの1人としての思いを聞きたかった。
「あのドラフトはもちろん、うれしかったですよ。斎藤佑ちゃんは闘志を表に出さないタイプ。少しまじめすぎるのかなあ。会ったら、あいさつする程度の付き合いでしたが、頑張ってほしい」
「栗山監督とは入れ違いですが、9年目の来年も続投ですね。今年はクライマックス・シリーズに出られなかったけど、来年は小笠原道大がコーチで戻ってくる。無口な男が、どんな影響を与えてくれるでしょうか、楽しみですね」
藤井さんは日本ハムでは事業本部長を1年、社長を5年務めて退任した。実はその間、心臓の病気で苦労したという。ドラフト会議で斎藤佑を引き当てた夜も体調が悪く、東京から札幌へすぐに戻ったほどだった。ただ弱気な部分を見せなかった。最後の高校生ドラフトとなった07年には4球団による大阪桐蔭・中田翔の交渉権もくじで引き当て、ドラフトのくじは2戦2勝という「超」がつくほどの強運の持ち主だった。
今年のドラフトは、大船渡(岩手)・佐々木朗希投手を日本ハムが既に1位入札すると公言している。
「佐々木くんの名前は聞いたことあるけど、よく知らないのが本当のところ。あと1歩で甲子園に行けなかった投手やね。星稜の奥川恭伸投手? 正直、名前も知らないんです。球団にいた頃から野球のことは担当に任せていたから。今年は誰がくじを引くかは知らないけど、佐々木くんを引き当ててくれるのを期待しています」
藤井さんは現在、サッカースクールの社長を本業にする一方で、立命大大学院や大体大大学院、阪南大で主にスポーツビジネスを教える非常勤講師も務める。大阪市にあるイタリア料理店「MAMMA PARMA(マンマ・パルマ)」の経営にも参画する。多忙を極める毎日だが、たぐいまれな能力を今も発揮し続けている。「9月にも心臓の手術をしたばかりで、今後もマイペースで仕事をさせてもらいます」という表情は、70歳とは思えないほどだった。【横田和幸】