サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」の池田太監督(51)が新年インタビューで復活への思いを語った。23年女子W杯、24年パリ五輪に向け、21年10月に就任。近年は欧米の強豪に歯が立たず、19年女子W杯はベスト16、東京五輪ではベスト8止まり。18年U-20W杯で世界を制した池田新監督は、W杯予選を兼ねた女子アジア杯(20日開幕、インド)で世界の戦いをスタートさせる。

21年は10月の国内合宿と11月のオランダ遠征2試合のみで活動を終えた。帰国のタイミングで政府の水際対策が強化され、予定になかった2週間の隔離生活を強いられ、12月の国内合宿が中止になるアクシデントもあった。しかし指揮官は、選手とスタッフの面談の機会を設けるなど、生まれた時間を有効活用した。

22年は負けられない戦いで幕を開ける。池田監督は「成長しながら戦い、アジアの頂点とW杯出場権を勝ち取る。その後、1年かけて選手とともにチームを成長させる積み上げができれば」と抱負を語る。

選手からは親しみを込めて“熱男”と呼ばれる熱血漢。ピッチの上では誰より大きな声とジェスチャーで熱く指導する一方、スタッフ間の連係や役割分担には繊細に気を配る。「1人1人へのアプローチ方法。私が言うのか、コーチを介してアドバイスするのか。スタッフワークの中で、選手とどう関わるか常に共有している」といい、周囲には「裸の王様にしないで」と率直な意見を求める。

16年までは福岡のコーチを務めており、女子の指導歴はなかった。S級指導者養成講習会で同期だった高倉麻子前監督(53)との関わりの中で、「男女の区別なく、監督としていろんなことをトライできるんじゃないか」と思い、なでしこの世界に飛び込んだ。「監督は結果が求められるし、プレーしている姿で勇気や感動を与えて、どんどん女子サッカーが広がっていく、そういった姿を見せないといけない」。強い使命感をもち、熱男が世界の舞台にこぎ出す。【杉山理紗】

◆池田太(いけだ・ふとし)1970年(昭45)10月4日、東京都出身。武南高-青山学院大を経て93年に浦和入団。4シーズンで53試合に出場し、96年限りで引退。97年から指導者として浦和のトップチームやアカデミーを担当し、11年にS級ライセンスを取得。12年からは福岡でコーチとなり、一時は監督代行も務めた。17年に年代別女子日本代表の監督に就任すると、翌18年にはU-20女子W杯初優勝。21年10月になでしこジャパンの監督に就任した。