第97回全国高校サッカー選手権が30日に東京・駒沢陸上競技場で開幕します。平成時代に誕生した怪物や名勝負、「あの名言」誕生の裏側などを「HEY! SAY! サッカー選手権」と題し連載します。
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“平成最初の選手権”を経験したのは、お笑いコンビ、ペナルティのワッキー(46)だ。昭和63年度(1988年度)大会は、千葉の名門・市船橋1年で、スタンドの応援団長を務めていた。準決勝前の1月7日。昭和天皇が崩御し、翌8日から元号が平成に変わった。
「(天皇崩御で)鳴り物応援が禁止になった。ブラスバンドがいなくなって、もう1人の応援団長と一緒に口ラッパでブラスバンド役をやったんです。声だけです。めちゃくちゃ疲れたのを覚えていますね。高校サッカー史上、1番応援した後輩だと思います(笑い)」。
チームは決勝まで駒を進めたが、静岡の強豪・清水商(現・清水桜が丘)に0-1で敗れた。「みんなで号泣して、この借りを返すという気持ちが燃え上がりました」。しかし、リベンジを期してレギュラーになって臨んだ2年時は、県予選決勝で習志野に敗れて全国切符を逃した。「(リードされた)試合中に泣きながらやっていましたね。あの選手権に自分たちが出られないことを現実として受け入れられなかった。そして好きだった先輩たちと一緒にサッカーができなくなる寂しさ。それがすごく記憶にあります」。
そして迎えた3年時。全国選手権2回戦でMF名波浩、山田隆裕らを擁した清水商と再び対戦した。「運命を感じましたよね」。そんな試合前、身体能力に優れ、競り合いにも強かったワッキーは、当時の布啓一郎監督から「ボールを見なくていいから、名波だけ見ていろ」とマンマークを指示された。試合では指示通りに名波への激しいプレスを徹底。ワッキーは当時のことをこう振り返る。
「野獣のような顔でマークについてたんですけど、むこう(名波)がやたらと話しかけてくるんですよ。すごく覚えているのが『この試合、何分ハーフだっけ?』って。絶対わかってるのに。全部シカトしましたけどね(笑い)」。試合は市船橋が1点リードで進み、終盤に差しかかった。その時だった。「忘れもしないです。あと残り10分ぐらいかな。バイタル(エリア)あたりで名波にボールが渡って、キックフェイントみたいなのに食いついてしまったんです。そうしたらうしろにヒールで流されて、走りこんできた選手にミドルシュートを打たれた。やばいと思って足を出したら、その股を抜かれてゴールを決められて追いつかれたんです」。試合は同点のままPK戦までもつれ込み、最後は清水商に軍配が上がった。
「(名波のマークを)99%はできていたかもしれないけど、残り1%で決定的な仕事をされたのは、名波浩を抑えきれていないということ。そりゃあ、のちに日本代表の10番になる男を、こんなクソ芸人が抑えられるわけないんですよ(笑い)」。時に自虐を交えつつ、懐かしそうに当時の思い出を語った。
今でも高校サッカーはよく見ている。母校のいない今大会に寂しさを感じつつも、かつての盟友らが監督を務める高校に注目している。高校2年の県予選決勝で敗れた習志野でエースだったMF仲村浩二が監督の尚志(福島)や、親交のある黒田剛監督率いる青森山田、そして今年の千葉県予選で市船橋を下した流通経大柏など。「もし尚志と流経の決勝になったとしたら、やっぱり流経を応援しちゃうかな。だって、市船に勝ったんだから」と母校愛は変わらない。
長いようで短く、苦しいようで楽しい。凝縮された市船橋での3年間が、今のワッキーを形成している。「サッカーとは違う道に進んだけど、毎日のように思い出します。自分のど真ん中に流れ続けているというか。死ぬまで変わらない(自分の)根っこです」と胸を張った。【松尾幸之介】
◆ペナルティ ヒデ(中川秀樹、つっこみ担当)とワッキー(脇田寧人、ボケ担当)によるお笑いコンビ。94年結成。ともに市船橋サッカー部で、ヒデが1学年上。ヒデは専大卒業後、J入りが内定していたが、芸能界入りを選択。ワッキーは専大進学後、膝を壊しサッカーを断念した。第1回M-1グランプリ(01年)では準決勝進出。
◆市船橋 1956年(昭31)に普通科と商業科で創立。サッカー部は58年創部。83年に体育科を設置し、サッカー部が全国レベルの強豪になった。優勝は高校総体9度、高校選手権5度。主なOBは川崎Fの鬼木達監督、スポーツ庁の鈴木大地長官。所在地は千葉県船橋市。



