新型コロナウイルス感染拡大の影響で、国内外のサッカーリーグ、代表の国際試合は中断、中止を余儀なくされている。生のサッカーの醍醐味(だいごみ)が伝えられない中、日刊スポーツでは「マイメモリーズ」と題し、歴史的な一戦から、ふとした場面に至るまで、各担当記者が立ち会った印象的な瞬間を紹介する。第1回はカズが激怒した夜-。

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あの頃、カズは若かった。日本の宝・元日本代表FW三浦知良(53)が30歳だった97年10月26日の夜10時過ぎ。日本は、ワールドカップ(W杯)フランス大会アジア最終予選で、UAEとホームの国立で戦い1-1で引き分けた。2戦を残して自力突破の可能性がなくなってしまった。

試合後の30分が過ぎ、選手たちがロッカールームから引き揚げ、中央出口に横付けされた移動バスに乗り込んだ。バス横、約15メートル先には鉄格子の扉があり、怒った多くのサポーターが選手らに罵声を浴びせた。生卵やカン、コインが選手バスを襲った。中には鉄格子内に止めてあったNHK中継車の天井に登り、選手バス目掛けてパイプイスを投げる人もいた。

ここまではテレビや新聞にも報じられた有名な話。4年前「ドーハの悲劇」で悲しんだファンが暴走したのも、ある程度、想像はつく。「カズ辞めろ-」と絶不調だったエースFWカズが集中攻撃にあったのも想定内の話。しかし、サッカー担当2年目だった私は、想像もつかなかったことを目の当たりにした。

選手バスの扉そばにいた私の耳に、バスの中から「カズやめろ-」の声が聞こえてきた。「エッ、仲間からも?」と思って中をのぞくと、カズがスタッフの制止を振り切って扉に向かってすごい勢いで歩を進めている。「ヴァーー」。言葉にならない声を発している。とっさに私は、他の記者1人とともに扉の前に立ち、カズを止めた。ギリギリ、降りる寸前の第1ステップで制止できた。その直後、協会関係者らが次々と寄ってきて、結局カズは再び自分の席に戻った。

のちに「ジョホールバルの歓喜」で、W杯初出場が決まり、しばらくたって当時を振り返ってもらった。カズは「すぐ(6日後、対韓国)試合だったのに選手の移動バスを止めたことに腹が立った」と話した。私が止めたことを伝えると「そうだったの? 覚えてないな。そうなんだ。ありがとう」と笑顔を返してくれた。

今はサッカー担当歴23年。ずいぶん腹黒くなった今なら、止めないかもしれない。「カズがサポーターのところに駆け寄って口論になった方が絵になるし、記事にもなる」と判断し、道を開けるかもしれない。あっ、でもやはり止めるかな? あの頃はカズも若かったし、私も青かったな…、なんて思うと、口元が緩んできた。【盧載鎭】