2010年の11月20日に、Jリーグの名古屋グランパスというクラブがリーグ初優勝を成し遂げた。圧倒的な強さで悲願のタイトルをつかみ取り、主将の楢崎正剛がシャーレ(優勝銀皿)を掲げた。それぞれの立場から、この10年と今を描く連載「グランパスVから10年」。過去に10年ほど担当した元記者がお届けする。(敬称略)

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名古屋グランパスの優勝から10年たって、川崎フロンターレが圧倒的な強さでリーグを制した。

当時の名古屋の残り3試合での優勝を更新する、同4試合という最速V。降格がないコロナ禍の今季のJリーグは競争力という点に疑問符はつくが、川崎フロンターレの強さは、歴史的なものだった。

忘れられつつある名古屋グランパスの優勝も、少しだけ注目されたのかもしれない。

10年前、シャーレを掲げた平塚には「世界のトヨタ」の社長、豊田章男がいた。

用意されていた選手とおそろいの優勝記念Tシャツを着て、笑顔で記念撮影にも参加した。

トヨタの総帥は、この年からクラブの非常勤取締役に就いていた。その後、クラブ会長になったが、「本業・社業に専念するべき」と18年7月に退任した。今はもう、クラブにその名はない。

優勝とは、ピッチ上の選手の力だけでは、成し遂げられない。クラブの経営陣、そして決して表に出てくることのないスタッフまで、クラブの総力が問われる。

もちろんサポーターが一番の戦力であることは、言うまでもない。

 

故郷の福岡で「社長」になった増川隆洋の口ぶりは、いつもと同じで、優しくて明るかった。

10年たって優勝の記憶は、薄れつつある。41歳になった。笑いながら、「そう考えたら、そうですね。10年ですか、懐かしい感じになっちゃいましたね」と言った。

優勝に大きく貢献し、この年のベストイレブンにも選出された身長191センチの巨漢センターバックは、気は優しくて力持ちそのものの、ナイスガイだ。練習生からプロになった苦労人でもある。

同僚の闘莉王と、ボンバーこと中沢佑二が君臨していた当時の日本代表には縁がなかったが、そのサイズと足元の技術は十分で、日本代表に招集されても、決してサプライズではなかったはずだ。

現役後半はけがもあり、京都パープルサンガとの契約が満了した昨季限りで選手にひと区切りつけた。

「もう事実上引退しているようなものです。引退発表、宣言はしてないけど、需要がなきゃ、それまでというのがプロだと思ってやってきたので」と潔い。

このあたりは、相手を、ファウルなしで止めることを信念としていた実直なプレースタイル、そのままだ。

 

プロ生活の終盤は、単身赴任が続いていた。ようやく愛する家族の待つ福岡に戻り、すでに第2の人生を踏み出している。

「子どもが好きなので」と、児童発達支援にかかわる会社の経営者になった。

最終ラインに構え、器用に両足で、ピッチに幅広くパスをつけることもできた。視野の広いセンターバックだった今の増川には、2つの視点がある。

選手と経営者。会社はまだ大きくないというが、大きな大きな責任を背負っている。

この視点は貴重だ。サッカーなら、現場とフロント、ピッチとクラブ事務所。選手とクラブスタッフには、連係と尊敬が欠かせない。会社経営も同じだろう。 増川には、そういった視点も生かして、当時を振り返ってもらった。

「プロの世界は結果が全てです。結果で全てが正当化されてしまうこともある。ただ、そういったことを差し引いて考えても、あのころは、クラブの進むべき方向がハッキリしていた。選手としてもやりやすかった」

増川は隣の闘莉王に全幅の信頼を寄せ、攻め上がってなかなか戻ってこない隣のスペースを、体を張って埋めた。

そして、闘莉王も増川を信頼して、任せていた。

あうんの呼吸で、ピッチには無数の連係があった。加えて、縦1本のパスから、高さと強さでねじ伏せるという切り札まであった。1点差勝利がとにかく多かった。

「やっぱり優勝は特別なもの。自分がプロのサッカー選手として何を成し遂げたかと言われたら、僕はあの優勝ですから。思い出深いですね。まわりの選手たちが良かった。だから、僕も生かしてもらったんです」

 

名古屋で生まれた3人の子どもたちは、元気に成長している。近況について話していると、そういえばと、当時の強さの要因の1つを口にした。

「みんな、本当にいい関係性でしたね。選手の家族も仲が良かった。うちの奥さんも子どもも、家族ぐるみで、みんなに仲良くしてもらいました。アレさん(三都主アレサンドロ)の家で、よくバーベキューしたなぁ…」

あの頃、ホームの瑞穂陸上競技場内に設けられた狭い「家族室」は、いつも混雑していた。

選手を待つ家族は、勝っても負けても、なかなか帰ろうとしなかった。

10年たっても、優勝は家族も含め、かかわったすべての人たちの誇りであり、最高の思い出であり続けている。

(つづく)【八反誠】