2度目のオリンピック(五輪)切符は突然舞い込んだ。04年アテネ、08年北京の代表を逃し、12年ロンドンでついに五輪の舞台に。男子シングルスで日本人初のベスト8に進出した。

そして4年後。16年リオデジャネイロの出場は、絶望的だった。だが日本人トップ桃田賢斗が賭博問題で1年間出場停止となり、繰り上げで代表に選ばれた。34歳で迎える五輪へ「集大成」と臨んだが、結果は1次リーグで敗退した。

五輪で切れた気持ちを再び奮い立たせることは難しかった。五輪後に臨んだ16年9月、全日本社会人選手権を最後に現役生活の幕を閉じた。「自分がやれるところまでやれた。未練は全くない」と晴れやかにコートを去った。現在は北都銀行で監督を務め、18、19年世界選手権女子ダブルスを連覇し東京五輪を目指す道産子の「ナガマツペア」こと永原和可那(24)松本麻佑(25)を指導する。