陸上男子走り幅跳び(切断などT64)で8メートル62の世界記録を持つマルクス・レーム(33=ドイツ)が、大会3連覇を果たした。5回目に8メートル18をマーク。8メートル超えは、ただ1人の圧勝だった。最終6回目の世界記録ラインに迫る大ジャンプはファウルとなり、期待された東京五輪の金メダル記録8メートル41には届かず。しかし、あらためてパラリンピックの大舞台で、義足ジャンパーの大きな可能性を示した。

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パラスポーツは身体的ハンディゆえ、レベルは健常者に及ばない-。そんな“概念”はレームには当てはまらない。向かい風0・2メートルの5回目に8メートル18。東京五輪の金メダル記録8メートル41には及ばずも、3度も8メートルを上回った。「もっと遠くに飛べたらという気持ちもあるが、とてもハッピー」。王者は誇らしげに国旗を背中にまとった。

小雨が降り注ぐ6回目。スタンドのスタッフ、関係者は国籍関係なく総立ちになった。手拍子が巻き起こった。歴史を変える期待感が高まる中、6月の欧州選手権で自身がマークした世界記録8メートル62近くの大ジャンプ。しかし、ファウルを意味する赤旗が上がった。少し残念そうに笑い、スタンドに手を上げた。

五輪とパラが可能な範囲で共存を望む。特例での五輪出場をリオ五輪に続き訴えていた。だが国際オリンピック委員会に退けられた。「自分のためじゃない」。障がいを持っていても、懸命に戦う姿を見てもらい、他の人に何かを感じ取ってもらいたかった。スポーツ仲裁裁判所にも提訴したが、思いは実らなかった。

ネックになったのは「義足の公平性」だ。健常者の平等性は保てるかを問う議論の中で、その高すぎるパフォーマンスは義足の「テクニカル(道具)ドーピング」との声を強くした。たしかにレームは義足を装着する右で踏み切る。世界陸連は踏み切りの反発性など有利に働いていないかという科学的な根拠を求めたが、それを導けなかった。ただ、義足を履けば誰しも遠くに跳べるわけではない。この日も8メートルを跳べたのは、レームだけ。2位との差は79センチ。その事実は、たゆまぬ努力を裏付ける。障害に悩む子供へのメッセージを問われると言った。

レーム 五輪の記録を達成できないとか僕も言われた。でも達成できた。周りに何を言われても、自分の道を信じれば大丈夫だ。

健常者の世界記録は91年に東京の旧国立競技場でマイク・パウエル(米国)が出した8メートル95だ。その映像を試合前には見た。「難しい距離だけど、その距離を跳べたら魅力的だ」。14歳の時にウエークボード中の事故で右脚を切断した「プレート・ジャンパー」は、この上なく大きな夢を追い続けている。【上田悠太】

◆マルクス・レーム 1988年(昭63)8月22日、ドイツ・バイエルン州生まれ。14歳でウエークボード中の事故で、右ひざ下を切断。20歳でパラ陸上を始める。14年ドイツ選手権で8メートル24をマークし、健常者も含めた大会で優勝するなど注目を集めてきた。パラリンピックは12年ロンドン大会は7メートル35、16年リオデジャネイロ大会では8メートル21で優勝。アスリートであり、義肢装具士の仕事もしている。