冬季パラリンピックでバイアスロン銀、スキーで銅メダルを獲得した経験を持つテコンドー女子58キロ超級の太田渉子(32=ソフトバンク)の夏初挑戦は、不戦勝のみの2連敗で、メダルなしに終わった。「冬から夏に転向してゼロからの挑戦。1歩踏み出すことの大切さだったり、コロナ下の困難な状況でも、出来ることに目を向けて諦めないでうやることなどを見ていただけたと思う」。24年パリ大会に関しては「目標はこの大会だったので、今は考えていないですね」と一区切りをつけることも言及した。

初戦の準々決勝では金メダルを獲得したナイモワ(ウズベキスタン)に12-37で敗れた。敗者復活1回戦はフランス選手の棄権により不戦勝だったが、同2回戦では銅メダリストとなったワトソン(オーストラリア)に12-32で敗退。「勝つために長いトレーニングをしてきたので勝ちたかったですけれど、それ以上に海外の選手が上をいっていたので拍手を送りたい」。19年の世界選手権(トルコ)では世界ランキング1位の英国選手に勝って銅メダルを獲得するなど、メダルの期待もあったが、持ち味のスピードを封じられ、大柄な選手のパワーに圧倒された結果となった。

山形県尾花沢市で先天性左手全指欠損で生まれ、小3からスキーを開始した。中学時代から強化選手としてクロスカントリーやバイアスロンのW杯参戦。日本選手団最年少16歳で出場した06年冬季パラリンピックのトリノ大会ではバイアスロン12・5キロ立位で銅メダル、10年バンクーバー大会ではクロスカントリースキー1キロクラシカルスプリント立位で銀メダルを獲得。3大会連続出場を果たした14年ソチ大会後に冬季競技を引退した。当時から所属していたIT系企業に勤務しながら、15年には趣味でテコンドーを開始。00年シドニー五輪銅メダルの岡本依子さんからの勧めもあって、18年からは東京パラリンピックを目指すために所属先も変え、本格的に競技生活をスタートした。

夏季パラリンピックに参加し、「私がこれまで経験してきた日本選手団や大会規模の何十倍の人たちがいる中で、世界中のアスリートも、スタッフも、関係者、ボランティア、みんなが楽しみにしている大会なんだな」と実感した。過去のパラリンピックと比べても、自国開催ということで「テレビやネット配信などで、かなり多くの競技を放映していただけた。生でスポーツとして楽しんでいただけたことは大きい」。現在は競技と並行して、障がい者スポーツの普及活動にも取り組んでいるだけに、喜びも大きかった。「今回はコロナで開催がどうなるかなどもあったけれど、パラアスリートが、いろいろな環境による障がいがあって、出来ることに目を向けて工夫したりして、強い意志を体現して取り組んでいることも見ていただけたと思う」。新たな挑戦だったテコンドーの選手としては悔しい敗戦を味わったが、パラリンピックを開催出来た大きな意義に対しては勝者の充実感に満ちていた。【鎌田直秀】