【貴重】中日浅尾投手コーチが語る 根尾昂はどうやって制球難を克服したのか/前編 

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」。昨秋以来となる中日の浅尾拓也2軍投手コーチ(38)と、今シーズンは2軍で開幕を迎えた根尾昂投手(22=大阪桐蔭)へのインタビューを行いました。今回は浅尾コーチ編。キャンプ中、大きく制球を乱した根尾の驚異的な復調を語ります。前後編の前編。

プロ野球

2月の沖縄・読谷での中日2軍キャンプを視察した際、フリーバッティングに登板した根尾のピッチングを楽しみにしていましたが、思わぬ乱調で非常に気がかりでした。死球を与え、指にひっかけて大きく外れたボールを投げるなど、コントロールを乱しており、フォームに問題を抱えているのではと、感じていました。

3月28、29日の取材時は、試合で投げる姿を間近で見て、復調を確信しました。なぜ、キャンプでは乱調だったか。そこからこれだけの短期間でどうやって復調してきたのか。まずは、根尾を見守ってきた浅尾コーチに、その背景をインタビューしました。

2022年11月、ナゴヤ球場

2022年11月、ナゴヤ球場

「昂からは何もないです」

田村氏お疲れさま。今日も時間つくってくれてありがとうね。それで、さっそくなんだけどね。

浅尾コーチはい。

田村氏根尾。根尾のことなんだけど、キャンプの時に、フリーバッティングに投げるの見ました。相当、ボールが暴れていたね。ちょっと驚いたし、大丈夫かな、とかなり心配になった。

浅尾コーチう~ん、まあ、まあ、そのなんでしょう。コントロールが定まらないっていうか、思ったところにボールが行かない、そういう状態がけっこう続いていてました。ただ、自分でしっかり考えて、いろいろやれる選手ですので。自分で考えながら、考えながらやっているっていうのは、すごく毎日、見ていて感じましたね。

田村氏それじゃあ、本人から特別何か言ってきたってことはないんだ?

浅尾コーチはい、言って来てないです、昂からは何もないです。自分も特別には言ってないです。

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。