【ロッテ藤原恭大】笑顔なきインタビュー 無双の大阪桐蔭で培ったプライドが反骨心に

選手の技術面に加え、人間性やドラマにも迫る田村藤夫氏(63)の「プレミアムリポート」は、今回はロッテからです。プロ5年目を迎えた2018年ドラフト1位・藤原恭大外野手(22=大阪桐蔭)にインタビューしました。

プロ野球

2018年の夏の甲子園大会で春夏連覇を達成した世代最強と言われた大阪桐蔭の中軸が藤原選手です。早いものでプロ5年目です。同期からは中日根尾昂投手、巨人横川凱投手、日本ハム柿木蓮投手(育成)がプロ入りしていますが、いずれもポジションを転向したり、育成契約になったりと試練の最中にいます。藤原選手もレギュラーを目指して練習に没頭する日々です。元チームメートへの思いなど、率直にインタビューしました。 

◆藤原恭大(ふじわら・きょうた)2000年(平12)5月6日、大阪府生まれ。大阪桐蔭では4度甲子園に出場。通算5本塁打を放ち、17年春、18年春夏の3度優勝。18年ドラフトで3球団競合の末、ロッテに1位で入団。19年の開幕戦で高卒新人では球団54年ぶりのスタメン出場を果たし、プロ初安打もマーク。今季推定年俸2200万円。181センチ、80キロ。左投げ左打ち。


◆田村藤夫(たむら・ふじお)1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受けたが、日本ハムに残留。96年オフには、ダイエー(現ソフトバンク)王監督から直接電話を受け、移籍を決断した。07年からは、中日の落合監督に請われ入閣。捕手としてONと落合氏から高く評価されたが、本人は「自分から人に話すことではない」とのスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。@tamu2272

勝負とのシーズンとなるプロ5年目に向け意気込みを語る(田村藤夫氏提供)

勝負とのシーズンとなるプロ5年目に向け意気込みを語る(田村藤夫氏提供)

大谷翔平に「話し掛けられませんでした」

田村氏よろしくお願いします。このインタビューをお願いしたのは、私が中日のコーチをしていたときに根尾君が入団してきて、彼と1年間やってきたことが縁となりました。評論家になってからも、根尾君を取材することがあり、そこから横川君、柿木君にも話を聞くようになって。それで同じ大阪桐蔭の同期だった藤原君にも話を聞けないかな、ということで、今回時間をつくってもらいました。

藤原はい、よろしくお願いします。

田村氏まず、侍ジャパンのサポートメンバーの時の話を教えてください。一緒にやってみて、どんなことを感じたかなと。試合では打席に立ちましたか?

藤原はい、2打席立たせてもらいました。

中日との壮行試合で大野雄大から三塁打を放つ=2023年3月4日

中日との壮行試合で大野雄大から三塁打を放つ=2023年3月4日

田村氏そうですか。メンバーと一緒に練習してみて何を感じましたか?

藤原そうですね。まあ、ちょうど大谷さんが日本に来て、バッティング練習をしているところなどを見たんですけど。

田村氏ほんとうに?

藤原はい。それで、日本でも、まあ、すごい選手というのは、よく試合前に大谷さんのバッティングなどをテレビで見てきたんですけど…。それに比べてもはるかにすごい打球を打っていたので、レベルの違いというものを目の当たりにしました。

田村氏やっぱりすごかったですか?

藤原すごかったですね。

藤原の三塁打に明るい表情を見せる大谷翔平。話はできなくとも、レベルの違いを体感した=2023年3月4日

藤原の三塁打に明るい表情を見せる大谷翔平。話はできなくとも、レベルの違いを体感した=2023年3月4日

田村氏何か話をしました?

藤原いえ、話し掛けられませんでした。練習を見させていただくので精いっぱいでした。

田村氏あ、そう。

藤原とにかく、大谷さんは次元が違うとしか言えません。何がどうとかじゃなく、すべてが異次元という感じでした。

田村氏年も下で、それにサポートメンバーで、そうそう話したりできないのは何となく想像つきます。やっぱり将来的には、そのメンバーの中に入っていきたいという気持ちになりましたか?

藤原そうですね、まだ、やっぱりロッテで…、まだレギュラーを取れていませんので…、まだまだ先の話なんですけど。1回(サポートメンバーとして)練習に参加させてもらったので、またこのレベルの方たちとやれるように頑張りたいなっていう思いにはなりました。

近藤健介の先制適時二塁打で生還し、大谷翔平(中央)ら侍ジャパンの選手たちに迎えられる

近藤健介の先制適時二塁打で生還し、大谷翔平(中央)ら侍ジャパンの選手たちに迎えられる

田村氏刺激を受けましたか?

藤原そうです。今後に生かせるようになればいいなと、そうですね。

「体力、メンタル、実力不足」

田村氏ちょっと話は変わりますが、大阪桐蔭から入った春夏連覇のメンバーが、今はもがいてる形になってますが、この状況での5年目は想像していましたか?

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1959年(昭34)10月24日、千葉・習志野出身。
関東第一から77年のドラフト6位で日本ハム入団。93年に初のベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞。
93年オフ、巨人長嶋監督からFA移籍でのラブコールを受け(日本ハムに残留)、96年オフには、当時の王監督(現会長)から直接電話でダイエー(現ソフトバンク)移籍を決断。07年から中日落合監督に請われて入閣した。
ONと落合氏から高く評価された捕手だが、田村氏はそうした経緯について「自分から人に話すことではない」というスタンスをかたくなに守る。42年間のプロ野球生活を経て解説者に。プロ通算1552試合出場、1123安打、110本塁打。