「パワーチェアーフットボール」をご存じだろうか?
7つある障がい者サッカーのうちの1つ。「足で蹴らない」サッカーと例えられる。時速10キロまでのスピードで電動車椅子を使ってゴールを奪い合う。バスケットコートサイズで1チーム4人、20分ハーフ。直径32・5センチという一回り大きな7号球で行われる。
■20回目の横浜F・マリノスカップ
その電動車椅子のサッカー大会「横浜F・マリノスカップ」が9月19、20日に神奈川県立スポーツセンターで開催された。2002年(平14)に始まり、今回で20回目という記念大会。全国から8チームが参加し、優勝を目指してしのぎを削った。
性別、年齢、障害の区別なく一緒にプレーを楽しめるというのがこの競技の利点。1つのボールを巡り、マシンをぶつけ合いながら、勝利を目指して懸命にプレーしていた。
スピード感や迫力、戦術性など想像を超えるものだった。モーターの付いた車椅子。スパイク代わりの「フットガード」をマシンの足元に付けてボールを蹴る。コントローラーのスティックを指、足、あごなどで操作する。
何より驚いたのは、競技が戦術的だったこと。当初はボールの周りに集まる「団子サッカー」をイメージしていたが、全然違っていた。4人が適度に距離を取り、ボールを回していたのに驚かされた。
ボールを“蹴る”にはマシンをクルリと1回転させながらフットガードでボールをはじく。回転の強度や当てる部分によってスピードは異なってくる。左サイドから右奥のスペースへ出たパスを受けた選手は、ワンタッチでゴール前へ流し、そのポイントで待ち構えた選手がゴールへ流し込む。
障害によって首を動かせない選手もいる。それでも日頃の練習でプレーとポジショニングを擦り合わせ、あうんの呼吸で連係プレーを完成させる。ゴールを奪った時の選手たちの目の輝き。あふれんばかりの喜びや楽しさが伝わってきた。
<最終順位>
優勝 FCクラッシャーズ
準優勝 Yokohama Crackers
3位 Red Eagles兵庫
4位 Safilva
5位 SFCデルティーズ
6位 Yokohama Red Spirits
7位 YOKOHAMA BayDream
8位 BLACK HAMERS
■「命懸けでやっています」の言葉
20回の歴史を重ねたマリノスカップ開催の発端は、電動車椅子サッカーの横浜連絡会からの「マリノスの名前が付いた大会に出たい」という要望をクラブ側が受け入れた。「ふれあいサッカープロジェクト」を展開し、地域社会と密接な関係を作っていたこともプラスに働いた。「誰もが楽しめる大会を作りましょう」。実施のない年もあったが、1年に1~2回の頻度で大会を重ねた。
自分たちの大会という認識が強い。14回大会から実行委員会を設けて運営している。選手たちは実行委員会の名刺を作り、主催者と協議。大会パンフレットも作る。さらに自動車の部品メーカーのジヤトコが特別協賛として参加。コート脇に「ピット」を設け、試合の合間に電動車椅子の足回り、フットガードの調整やタイヤ回りなどを整備。選手たちのパフォーマンスを全力サポートしている。
2017年から大会実行委員を務める横浜マリノス株式会社パートナー事業部の佐々木伸一部長(57)が言う。
「私の心に刺さった言葉があります。僕たちは“命懸けでやっています”って言われました。一生懸命やっているのかなと思ったら、そうじゃない。障害は進行性のものも多いので、亡くなったりする。去年まで一緒にやってきたメンバーが今年1月に亡くなった。今大会も黙とうから始まっている。いつ競技ができなくなるか分からない。だから1日、1日を大切にしていると。マリノスとしてこれまでの関わり方でいいのだろうかと考えさせられました」
Jクラブの使命として、サッカーを普及、発展させていくのが役目だという思いを強くした。「マリノス」という冠を使って発信していく。知られないと競技団体がしぼんでしまう。地域の公共財という自負を持ち、インクルーシブ(分け隔てのない共生)社会をリードしていく考えだ。
「誰でもサッカーを楽しめる。こういう競技を知ってもらうことで、競技を始めるキッカケになる。スポーツをあきらめていた人が、自分にも出来るという励みを持てる。人生の糧にもなる」
ただ競技を普及、発展させていく上で課題がある。モーター付きの特注の車椅子は日本で作られておらず、すべて米国製。130万円ほどの車体価格に加え、輸入する経費もかかってくる。障がい者がもっと参加できるよう、より行政の支援が望まれるところ。生活上の車椅子には助成金が出るが、2台目にはない。競技を普及させる上で経費が壁となっている。
■第1回から出場の三上勇輝選手
この大会に第1回から出場しているという珍しい選手がいる。今大会を制したFCクラッシャーズ(長野県)に所属する三上勇輝選手(35)だ。20回連続での出場。大会の歴史を知り尽くす、そのレジェンドに話を聞いた。
地元の横浜市出身。小学生時代からの参加になる。出生時から体の四肢にまひがあり車椅子で生活している。
電動車椅子サッカーを始めたきっかけは、健常者の兄の少年サッカーに付いて行っている中で「自分もやってみたいと思う日々が続いた」ことが発端だった。
障がい者スポーツ文化センター「横浜ラポール」でのパラスポーツ体験会に参加。そこで電動車椅子サッカーと出合い、競技にどんどん魅了されていった。
「小学3年生からだからもう25、26年になります。本当にずっとサッカーを見ていてやりたいなっていう気持ちがあったので、本当に夢中になりました。一緒にプレーする仲間ができ、どんどんのめりこんでいったというのは覚えています」
三上選手が得意とするプレーは「力強いドリブルだったり、視野が広いので大きな展開を狙ったパス」。週末の練習で連係プレーに磨きをかけており、相手のアプローチがかかる前にボールを大きく動かし、スペースを活用した攻撃が最大の武器だ。
競技者として、車椅子サッカーの魅力をこう伝える。
「この競技は年齢とか性別とかは関係なく、この電動車椅子を使うことで対等になる。今のダイバーシティー(多様性)という流れ、この共生社会にマッチした競技だと思う。子供から大人まで一緒にできるので、子供は大人の影響を受けて頑張れる。さまざまな選手がいることでもおもしろい競技になっていると思っています」
パラスポーツの世界でも電動車椅子を使った競技は他にないという。マシンを操るという観点からまた、こうも話した。
「F1っぽいというか。サッカーとF1を融合したような、マシンのテクニックも必要だし、サッカーのスキルも必要。私はメカニックが好きなので、車椅子をいじったり、改造したりとかするのもおもいしろい」
日本代表選手でもあり、国内外の遠征もある。試合が多くなったり、マシン同士が交錯する激しいプレーでタイヤ交換とかバッテリーの消耗も早くなる。大会委員長の佐々木さんも話していた通り、トップレベルの選手になればなるほど、お金がかかる。スポンサーの支援だったり、家族や周囲の協力があって成り立っているのだという。
来年にはワールドカップ(W杯)がアルゼンチンで開催される。前回のW杯は7位だった。向上心旺盛な三上選手とあって「ふがいない結果に終わったので、もう1回頑張ろうと思いました」。第1子の女児が誕生したことが、人生の大きな励みになっている。
そして、あらためて20回目の記念大会を迎えたことには「大変光栄ですし、感謝しています。もっともっと成長して来年のW杯を盛り上げていくための一助となれば。自分自身をもった高められるように努めていきたい」と口にした。
■プレーで生きる喜びを解き放つ
スポーツとは「プレー」の語源通り「遊び」が本質にある。人が持つ本来の遊び心。そこを刺激し、意欲が芽生えてくる。目先のいいプレーをしたい、勝ちたいから始まるだろう。夢中になって打ち込むことで心はどこか軽くなる。心が満たされれば、周囲への配慮や気遣いへとつながる。優しさはどんどん波及する。
社会とは、言うまでもなく人と人との“つながり”だ。さまざまな境遇にあっても、こうしてプレーすることでつながれば、間違いなく共生社会の一助となっていく。あらためてスポーツの力、「プレー(遊ぶ)」の意味を思う。
人生には喜びが詰まっている。その心をプレーすることで解き放つ-。電動車椅子サッカーに夢中になる選手、それを支え応援する人たちの姿から、さまざまな気づきを得られた。【佐藤隆志】









