14日に開幕するワールドカップ・ロシア大会に臨む日本代表23人が決定した。連載「フットボールの真実」では、「選ばれし者、敗れざる者」と題して当落線上だった選手のドラマに迫る。第1回は、西野ジャパンのラストピースとして期待されるMF乾貴士(30=ベティス)。右太もも打撲で戦列を離れていた乾が、先月30日のガーナ戦でプレーすることなく、メンバーに入った。完全復活までの物語に注目した。

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 乾が初めてW杯の舞台に立つ。オーストリア・ゼーフェルトでの直前合宿。右太もも打撲で万全でなかった乾の状態は、確実に良くなった。4日、負荷の掛かる強度高めの練習を消化した。前日3日、10対10の実戦形式は負傷箇所を考慮されフリーマンだったが、西野監督に「4日からフリーマンではなく普通に戻して下さい」と直訴し、完全復活を強調した。

 「違和感もなくできているので問題ない。早くボールを蹴りたかった」

 今の乾にとってこの言葉は紛れもない本心で、重い。

 5月17日。アクシデントは突然だった。古巣エイバルでの練習中に右太ももを打撲した。患部の状態は想像以上に悪く、スペインの病院での検査結果は最悪。手術を宣告された。だが、手術を受ければ1カ月後に迫るW杯はアウト。わずかな希望を求め、チームのシーズン終了を待たず緊急帰国を決めた。

 帰国後、代表チームの医師の診断で何とか手術は回避。だが、またも絶望のふちに立たされた。W杯メンバー選考前、最後のアピールの場となる同30日の国際親善試合ガーナ戦の出場は不可能だと判断された。もうアピールの場はない。千葉合宿もほとんど別メニューで調整し、天命を待つことしかできなくなった。

 迎えたガーナ戦。乾に出番はなかった。だが、試合後のことだった。乾は1人、西野監督から横浜市内のホテルに呼び出された。2人きりの空間。静かな部屋には乾の熱い言葉が響いた。密室で内容は分からないが、関係者によると、乾はW杯に対する強い思いを指揮官に話したようだ。スピードあるドリブルでの突破力や技術の高さを買われ、左の1・5列目、シャドーとして期待されていたが、負傷を抱え当落線上だった乾。最後はその気持ちが指揮官の決断を後押ししたのかもしれない。

 待ち望んだ世界の舞台。ザックジャパン時代も定期的に代表に招集されていたが、最終的にブラジル大会のメンバー入りはかなわなかった。30歳でようやくつかんだW杯切符。3年間所属したエイバルでは、日本人が評価されたことのなかったスペインリーグで89試合11得点と結果を残し、16-17年最終節のバルセロナ戦では2ゴールを決めた。日本人で初めてバルセロナから得点を奪った男-。来季からはベティスへ移籍し、着実にステップアップする。

 「ベティスはいいチーム。(移籍は)自分にとってはうれしいこと。でも…まずはW杯」

 2度すり抜けかけたW杯が、現実になる。「自分にやれることは多いと思う。良さを出していけたら」。西野ジャパンの救世主は、絶望からはい上がってきた乾だ。【小杉舞】

 ◆乾貴士(いぬい・たかし)1988年(昭63)6月2日、滋賀県近江八幡市生まれ。野洲高2年時に全国高校選手権優勝、07年横浜入り。08年6月にC大阪、11年夏にドイツ2部ボーフム、12年夏に同1部フランクフルト移籍。15年夏からエイバル。来季からはベティスに加入。A代表デビューは09年1月20日アジア杯予選イエメン戦。国際Aマッチ25試合2得点。家族は夫人と1男。169センチ、63キロ。血液型A。

午前練習のサーキットトレーニングで乾はダッシュを繰り返す(撮影・山崎安昭)
午前練習のサーキットトレーニングで乾はダッシュを繰り返す(撮影・山崎安昭)