来年の東京オリンピック(五輪)を狙える存在がまた1人出てきた。今季からFC東京に加入したDF渡辺剛(つよし、22)。平成最後の公式戦となった28日の松本山雅FC戦でJデビューを果たした。

フル出場で無失点に貢献し、出足鋭いプレスで先制点の起点にもなった。試合後は「東京で試合に出ることは小さいころからの夢でした。思い出に残る試合になりました」と、胸のエンブレムをぐっとつかんだ。

周囲からは“つよぽん”の愛称で親しまれる。「かたくてつよい」という意味を持つ剛という名がふさわしいファイターだ。184センチの恵まれた体格でスピードも十分。最大の武器は抜群の跳躍力を生かした空中戦の強さだ。

松本戦では190センチのFWレアンドロ・ペレイラの頭1つ上からヘディングをかますと、50メートル走で6秒を切るFW前田大然に後方から追いついてカウンターを止めた。長谷川健太監督も「3枚目のCBが必要な中で、剛が結果を出してくれた」と高評価。名古屋グランパスに移籍したDF丸山祐市の穴は埋まった-。そう思わせる奮闘ぶりだった。

たくましいプレースタイルは「自分でも想像していなかった」という。東京の下部組織で過ごした中学時代までは、学校のクラスでも背の順に並ぶといつも最前列か2番目。中学卒業時でも「160センチちょっとしかなかった」。負けん気は強かったが、大柄な選手にチャレンジしてははじきとばされた。そんな姿から、中学までのあだ名は「よわぽん」。

ジュニアユース時代を知る長沢徹コーチは「ヒエラルキーで言えばいちばん下。他に試合が出られない子たちからしても、『剛がいるから』逆に希望の光だったところもある」と冗談っぽく振り返った。公式戦にはほとんど出られず、ユース昇格はかなわなかった。

進学した山梨学院大付高が転機だった。1年間で20センチ近く身長が伸び、ポジションを中盤からCBへコンバートした。慣れない位置で失敗も繰り返したが、当時の吉永一明監督に「お前ならできる」と背中を押されて1年時から試合に出続けた。

「自分を信用してくれていると感じた、初めての監督だった」

期待に応えたい。小柄だった中3の頃から欠かさなかったヘディング練習も続けた。毎日、練習場の片隅につるされたサッカーボールに向かって跳んだ。

地道な努力は実る。14年度の高校選手権で優秀選手に選ばれると、15年には高校選抜にも選出された。「サッカー選手として生きていくすべを見つけた」。初めて、心に小さな自信が宿った。

そうして進んだ中大に在学中、東京から“復帰”のオファーが届いた。身長184センチになってクラブハウスに帰ってきた「よわぽん」は、久々に会う人に次々と驚かれた。磨き上げたヘディングは「プロでも、やれないとは思っていない」。挫折からはい上がる中で手にした武器は、プロで生き抜くためのよりどころになった。

現在の大きな目標は東京五輪。晴れ舞台を目指す1つの理由がある。

「子どもたちに勇気を与える選手になりたい」

育成年代で日の目を浴びなかったからこそ、胸に思いがある。

「体も小さくて、サッカーも下手で、周囲にもなめられて、1年間も試合に出られなかった。そんなところからJ1の舞台に立つことができた。誰にでもチャンスはあるんだということを示したいんです」

東京に加入後もなつかしさをもって「よわぽん」と呼ばれ続けていた佐藤由紀彦コーチからも、松本戦でJ1で通用する力を見せたことで「つよぽん」と呼ばれるようになった。

「僕はタケ(久保建英)のようなあふれるセンスはないし、技術もありません。能力があるとすれば…失敗しても前に進むための努力を忘れないところでしょうか」

チームのCBはDF森重真人、チャン・ヒョンスのコンビが鉄板。入団前には周囲から「大卒の年齢だし、試合に出られるチームにいくのがいいのでは」という進言もあった。「(ポジション奪取に)たとえ2年かかってもいい」と覚悟したJデビューは、想像以上の早さだった。

「もし東京でスタメンを取れれば、日本代表も遠くないと思っています」

2人の背中を追いかけながら、「つよぽん」は夢に向かって突き進む。【岡崎悠利】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)

柏対東京 前半、右CKに頭で合わせ、先制ゴールを決める東京DF渡辺(2019年3月6日撮影)
柏対東京 前半、右CKに頭で合わせ、先制ゴールを決める東京DF渡辺(2019年3月6日撮影)