サッカー日本代表(FIFAランキング23位)がアウェーでオーストラリア(同37位)に2-0で勝ち、7大会連続7度目のW杯出場を決めた。B組2位の日本は同3位のオーストラリアとの直接対決を制し、勝ち点21で2位以内を確定させた。
◇ ◇
4年前のことだ。W杯ロシア大会の決勝トーナメント1回戦で日本がベルギーに衝撃的逆転負け(2-3)を喫した18年7月3日。その翌日に、日本協会の田嶋会長は西野監督(当時)へ続投を要請した。
翌5日の帰国するまでの2日間、ロシアの滞在先や空港などで3度も続投意思を確認し、説得を試みたが結局、実らなかった。
日本協会は、ロシア大会において、スポンサーへの説明、現地の滞在費用や選手やスタッフらの勝利給など予算編成上、現実的な目標を8強としていた。目標達成できなかった西野監督に続投要請したのは、継続性を重要視したため。大会直前に就任した西野監督は、田嶋会長への「疲れた…」との言葉の後に「森保」と東京五輪世代の代表チームを率いる人物の名を口にした。
それまで日本人でW杯を指揮したのは、岡田監督だけ。98年フランス大会と10年南アフリカ大会を率いたが、いずれも緊急的な登板からだった。98年は加茂監督の更迭、10年はオシム監督の急病で急にバトンが回ってきた。
2度のW杯後、岡田監督は日本協会を退いた。コーチ陣を協会に残すなど、継続性を維持しようとしたが、外国人の新監督を迎え入れた体制では、限界があった。
森保監督は、チーム立ち上げからW杯出場を決めた初めての日本人監督になった。アジア2次予選を軽々と通過したが、最終予選の初戦を落とすと、3戦目まで1勝2敗。ここからいばらの道が待っていた。
代表強化に関連する部門のある幹部が、内々で監督更迭を主張し始め、森保監督に選手の起用法などに、意見という名のプレッシャーをかけてきた。昨年10月12日のオーストラリア戦(ホーム)の前には協会内で「負けたら解任」との言葉が出ていた。
オーストラリアに2-1で勝ったが、「負けたら解任」からさらにトーンが上がり「引き分けても解任」へと変わった中での薄氷の勝利だった。翌11月はベトナム、オマーンに遠征。直前の技術委員会では「監督人事は反町委員長と協会幹部に一任」との話もあった。「ベトナムと引き分け以下なら森保監督はオマーンに向かわず、横内コーチ体制でオマーン戦を乗り切る」との極秘プランもあった。
当然、自分の職が危ういとの情報は森保監督の耳にも届いている。選手にも危機感はあった。その中でも「監督という職業はそんなもんだから」と、同監督はひょうひょうと仕事をこなし、振る舞いを変えることはなかった。
スタッフの1人は「外国人監督なら神経質になったりするけれど、逆に選手が心配するほど、監督が普段と変わらなかった。選手たちの監督への信頼が、さらに深まった感じがした」と話す。
日本協会は今冬から来春にかけて、アディダス社や電通などと8年の大型スポンサー契約延長を控えている。総額約500億円の大型契約で、W杯出場はその金額を大きく左右する。
コロナ禍の影響などで、企業の業績が上がらない。スポンサーからは、8年契約から4年契約への切り替えや契約料削減が提案されているともいわれる。
現状、日本協会は赤字経営が続いている。スポンサー料減額などは大きな打撃となる。東京・文京区のJFAハウスを約200億円で手放す決断を下したばかり。背に腹は代えられず、協会が森保監督に結果を求め、プレッシャーをかけるのも無理はない。
もし、W杯出場が途絶えるようなことがあれば、スポンサー契約やサッカー人気の低迷は確実。理想だけを求めるわけにはいかない事情もある。そんな中で森保監督は、東京五輪で若手に経験を積ませ、7大会連続W杯出場を決めた。
その功績と、結果的に続投させ、森保監督に任せた日本協会の選択は、評価に値するものだといえる。
【サッカー担当キャップ=盧載鎭】