川崎フロンターレが2日、本拠の等々力で大宮アルディージャを下し、鹿島アントラーズがジュビロ磐田に引き分けたため奇跡の逆転Vを成し遂げた。00年のナビスコ杯準優勝以来、何度もあと1歩のところでタイトルを逃し、銀コレクターと言われたが、最終節で首位鹿島との勝ち点差2を逆転し、ついに悲願を達成した。その道のりを振り返る。


【注】年齢、表記は当時


2000年 ナビスコ杯 準V


<ナビスコ杯:川崎F0-2鹿島>◇決勝◇2000年11月4日◇国立



川崎F00-1
0-1
2鹿 島

▼得点者

前半31分【鹿】中田浩

後半18分【鹿】ビスマルク


【2000年11月5日付紙面より】


 鹿島が川崎Fを下し、3年ぶり2度目の優勝に輝いた。鹿島にとっては、Jリーグ発足(1993年)以降、5つ目の3大タイトル(ナビスコ杯、Jリーグ、天皇杯)。ブラジル代表の名選手だったトニーニョ・セレーゾ監督(45)に率いられて、Jリーグの盟主としての地位を築いた。

ナビスコ杯決勝 鹿島対川崎F 優勝を果たしガッツポーズの本田泰人(左端)ら鹿島イレブン (00年11月4日撮影)
ナビスコ杯決勝 鹿島対川崎F 優勝を果たしガッツポーズの本田泰人(左端)ら鹿島イレブン (00年11月4日撮影)

 地力の差は明白だった。それでも、川崎Fは最後まで必死に食い下がった。持てるすべての力を出し切り、リーグ戦でも優勝を狙う強豪鹿島に決定的場面をつくらせなかった。「優勝できなかったことだけが残念。でも、中盤のプレッシャーなどは狙い通り。ビスマルクの存在は、消すことができた」と小林監督は話した。


 川崎Fのこの日の登録メンバー16人中11人が、合わせて17ものJクラブを経て集まった苦労人。ほとんどの選手は前所属からは戦力外となってやってきた。クラブ史上初のJ1タイトルを、全選手が一丸となって狙っていた。昨年まで鹿島のユニホームを着ていた奥野主将は「セットプレーとリスタートでやられた。でも、いい試合はできたし、この1カ月やってきたことは発揮できた」とさばさばと話した。


 8日にはリーグ戦が再開する。5試合を残して、残留圏内の年間14位市原との勝ち点差は9。敗戦を嘆いている時間はない。

 

 ◆鬼木気合入り過ぎ

 川崎FのMF鬼木が、古巣鹿島相手の敗戦に肩を落とした。試合開始から、ラフプレーを連発し、攻守にチームを鼓舞したが勝利は遠かった。「こっちが攻めに出ても、あれだけ引かれちゃうと何もできない。気合が入ってた? ジーコから『ファウルしすぎだ』と怒られました」と苦笑いしていた。

 

 ◆川崎F負けても賞金還元祝勝会

 川崎Fは敗戦後の午後6時から、ホーム等々力競技場で予定通り「賞金還元祝勝会」を行った。準優勝賞金5000万円の一部から、焼き肉やビールを1000人分用意したが、予想を上回る2148人が集まってしまった。リーグ戦ではJ2落ちの不安を抱える最下位だけに、DF奥野は「(今回は)サポーターの声援に助けられた。(リーグ戦の)残り試合は可能性を信じて頑張っていきます」と、あいさつしていた。


2006年 リーグ2位

※浦和がリーグ初優勝


<J1:C大阪1-3川崎F>◇最終節◇2006年12月2日◇長居



C大阪11-2
0-1
3川崎F

▼得点者

前半9分【川】飛弾

前半42分【川】ジュニーニョ

前半44分【C】古橋

後半39分【川】黒津


【2006年12月3日付紙面より】


 川崎Fが3-1でC大阪を破り、G大阪を抜いて2位となった。アジアチャンピオンズリーグ(ACL)出場権獲得が確実になった。「ACL! ACL!」の大合唱。J1昇格後わずか2年、開幕当初1人も日本代表がいなかった無印軍団がアジアへの扉を開いた。


 MF中村は言う。「今日はセレッソに勝つことだけを考えた。今まで通りね」。J2降格危機の相手にも、無心でぶつかった。優勝の可能性が消えてから2戦2勝。まじめさが取りえの集団は、一戦必勝主義でリーグ戦を乗り切った。関塚監督はACLについて「まだ何も考えていません」と笑った。川崎Fは予測を超えるスピードで、階段を駆け上がった。


 ※C大阪はこの敗戦でJ2降格


2007年 ナビスコ杯 準V


<ナビスコ杯:川崎F0-1G大阪>◇決勝◇2007年11月3日◇国立



川崎F00-0
0-1
1G大阪

▼得点者

後半10分【G】安田理大


【2007年11月4日付紙面より】


 調子乗り世代の19歳が日本一に導いた。G大阪が1-0で川崎Fを下し、初優勝に輝いた。DF安田理大(19)が後半10分、左足でプロ初得点となる決勝点を決め、MVPを獲得。U-20(20歳以下)W杯出場や結婚など最高の1年となった。G大阪は賞金1億円と、ベッカムが所属するロサンゼルス・ギャラクシーが出場する来年2月のパン・パシフィック選手権(ハワイ)の出場権を獲得した。

ナビスコ杯決勝 川崎F対G大阪 G大阪に敗れ準優勝のメダルをじっと見つめる川崎F箕輪義信(07年11月3日撮影)
ナビスコ杯決勝 川崎F対G大阪 G大阪に敗れ準優勝のメダルをじっと見つめる川崎F箕輪義信(07年11月3日撮影)

 欲しかったはずの優勝メダルは、胸になかった。G大阪の表彰式の間、ピッチで無言の時間を過ごすしかない。川崎Fの選手たちは、準優勝メダルを首から外した。DF箕輪は表彰式に背を向けて座り、涙を流した。「見たくなかった。見てどうなるもんじゃない。ガンバの選手には、握手して『おめでとう』と言いました」。


 決定機をものにできずに、敗れ去った。リーグ戦得点ランク首位のFWジュニーニョは、前半6分と後半3分に放ったシュートを、GKにはじかれた。MF中村は「そういう日もある。ジュニーニョのせいじゃない。助けられている試合もありますから」と振り返った。


 7年ぶり2度目の決勝も、初タイトルは遠かった。前回はリーグ戦で最下位ながら進出したが、今回は違う。関塚監督は試合前「我々は実力でここまで来られたんだ」と言って、選手に自信を持たせたほど。ならば、何が勝敗を分けたのか。DF伊藤は「分からない。ちょっとした差だと思う。でもこういう差は大きい」と悔やんだ。7年前に比べて、サポーターは明らかに増え、数ではG大阪を上回った。初Vに至らなかったが、前進していることは証明できた。


2008年 リーグ2位

※鹿島がリーグ優勝


<J1:東京V0-2川崎F>◇最終節◇2008年12月6日◇味スタ



東京V00-0
0-2
2川崎F

▼得点者

後半19分【川】レナチーニョ

後半44分【川】中村


【2008年12月7日付紙面より】

東京V対川崎F 後半、川崎F鄭大世(中央)は間接FKでMF大橋正博と一緒に蹴ろうとする。左はMF中村憲剛(08年12月6日撮影)
東京V対川崎F 後半、川崎F鄭大世(中央)は間接FKでMF大橋正博と一緒に蹴ろうとする。左はMF中村憲剛(08年12月6日撮影)

 あと1歩、届かなかった。川崎Fの初タイトルは来季に持ち越された。3点差以上の勝利が求められた東京V戦で、前半23分にFWジュニーニョがPKを外すなど、度重なる好機に決めきれなかった。後半19分にFWレナチーニョ、同44分にはMF中村がミドル弾を決めたが、3点目は奪えなかった。終了直後、高畠監督から鹿島の優勝を伝えられた中村は「しょうがないな」とつぶやいた。


 激動の1年だった。3月にFWフッキが退団し、4月には関塚前監督が不整脈で辞任。苦境の中で選手間の対話を増やして乗り越えた。来季の監督復帰が決まり、この日視察に訪れた関塚前監督も「クラブとして最後まで頑張った結果」と評価した。2季ぶりにアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)への参戦も決まった。中村は「並行してやれているチームはないけど、頑張ります」と、JリーグとACLの2冠を目標に掲げた。

東京V対川崎F 試合に勝利しサポーターの声援に応える我那覇和樹(中央)(08年12月6日)
東京V対川崎F 試合に勝利しサポーターの声援に応える我那覇和樹(中央)(08年12月6日)

 退団が決まったFW我那覇が、東京V戦の後半37分から途中出場した。ゴールこそなかったが、精力的なプレスと走りを見せた。試合後は後輩やスタッフと抱き合い、スタンドのサポーターからの大声援に涙した。「(99年の入団後)10年、苦楽をともにしたクラブには、成長させてくれたことを感謝したい」。来季については未定だが、既に神戸が獲得に動いており争奪戦となりそうだ。


 ※東京Vはこの敗戦でJ2降格


2009年 ナビスコ杯 準V


<ナビスコ杯:東京2-0川崎F>◇決勝◇2009年11月3日◇国立



東 京21-0
1-0
0川崎F

▼得点者

前半22分【東】米本

後半14分【東】平山


【2009年11月4日付紙面より】


 東京のエースFW平山相太(24)が5年ぶり2度目の優勝の原動力となった。後半14分に貴重な追加点をヘッドで決め、2-0で川崎Fを撃破した。準決勝清水戦でも決勝ゴールを決めるなど同杯で4得点。今季大きく成長した秘密を独占手記で明かした。先制弾をたたき込んだMF米本拓司(18)は、ニューヒーロー賞に続いてMVPに輝き、新人では初、史上3人目のダブル受賞。公約通りタイトル奪取に成功した就任2年目の城福浩監督(48)率いるチームは、優勝賞金1億円を獲得した。

ナビスコ杯決勝 東京対川崎F 後半14分、川崎F・GK川島永嗣は東京FW平山相太(後方)にゴールを決められ、ぼうぜんとボールを見つめる(09年11月3日撮影)
ナビスコ杯決勝 東京対川崎F 後半14分、川崎F・GK川島永嗣は東京FW平山相太(後方)にゴールを決められ、ぼうぜんとボールを見つめる(09年11月3日撮影)

 どれだけ涙を流せば、タイトルに届くのか…。歓喜の東京を背に、DF伊藤はへたり込み、MF谷口も涙した。00年、07年に続き3度目の決勝も散った。06、08年のリーグ2位を含め、あと少しのところで頂点に立てない。関塚監督は「1点取られた後、自分たちのサッカーをやり切れない弱点が出た」と語った。


 東京米本のミドル弾を防ぎきれなかったGK川島は「ボールがブレて見えた。エリア外からで簡単ではなかった気がする」と悔やんだ。MF中村は「攻め込みながらポンと先制される一番嫌な点の取られ方をされた。慌てて、中央から突っ込みがちになるという川崎の良くないところが出てしまった」と話した。


 悲願の初Vへ、残るは勝ち点1差で首位のリーグ戦と天皇杯。8日にリーグ千葉戦が控えるが、関塚監督は「どうしたらいいか、今は考えられない」と答えるのがやっと。中村は「チームの力はそこで問われる」と、必死に気持ちを切り替えようとしていた。

ナビスコ杯で準優勝し表彰後、引き揚げる川崎Fイレブン。表彰式でかけられたメダルを外している選手も見られる(09年11月3日撮影)
ナビスコ杯で準優勝し表彰後、引き揚げる川崎Fイレブン。表彰式でかけられたメダルを外している選手も見られる(09年11月3日撮影)

 Jリーグの鬼武健二チェアマン(70)が、表彰式での川崎F選手の態度に激怒した。川崎Fは優勝した東京の前にメーンスタンドで準優勝の表彰を受けたが、数人の選手が、かけられたメダルをすぐ外し、表彰台にもたれかかるなどした。鬼武チェアマンは「負けたのは己の責任。許せない態度だ。賞金(2位=5000万円)を返してほしいぐらいだ」と怒りをぶちまけた。


 日本協会の川淵名誉会長も「あれではバッド・ルーザー(悪い敗者)、いやワースト・ルーザー(最低の敗者)だ」と激しい口調で言った。これまでもナビスコ杯や天皇杯での敗者の態度はJリーグや日本協会で問題になったことがある。2年前も、川崎Fは準優勝メダルを外していた。Jリーグや日本協会の怒りが、この日の川崎F選手の態度で一気に爆発した形だ。


 ピッチに降りる途中にメダルを外したMF中村は「確かに、最後まで外すべきではなかった」と反省した。鬼武チェアマンに注意された川崎Fの武田社長も「不快な思いをさせて申し訳ない。今後は、こういうことがないように指導したい」と神妙な面持ちで話した。


 鬼武チェアマンは「今後のことは、いろいろと考える。実行委員会でも話題になるかもしれない」と、処分も含めて検討することを口にした。W杯や欧州CLなど、どんな大会にもある「敗者の表彰」。日本、海外問わず、メダルを外す敗者の姿が日常化しているだけに、根本から見直さない限りは同じ問題が繰り返されるだろう。


2009年 リーグ2位

※鹿島がリーグ優勝


<J1:柏2-3川崎F>◇最終節◇2009年12月5日◇柏



 柏 20-3
2-0
3川崎F

▼得点者

前半30分【川】ジュニーニョ(PK)

前半39分【川】鄭大世

前半40分【川】中村

後半24分【柏】フランサ(PK)

後半34分【柏】フランサ


【2009年12月5日付紙面より】

柏対川崎F 試合に勝ったものの、優勝を逃した川崎Fイレブンがサポーターを背にがっくりと引き揚げる(09年12月5日撮影)
柏対川崎F 試合に勝ったものの、優勝を逃した川崎Fイレブンがサポーターを背にがっくりと引き揚げる(09年12月5日撮影)
柏対川崎F 試合後、サポーターにあいさつする川崎F・MF中村憲剛(09年12月5日撮影)
柏対川崎F 試合後、サポーターにあいさつする川崎F・MF中村憲剛(09年12月5日撮影)

 試合終了直後、鹿島の勝利を知った川崎Fの選手たちはピッチ上で動けなくなった。勝たなければ優勝の可能性がない最終節柏戦。前半30分からの10分間で、FWジュニーニョ、FW鄭、MF中村が立て続けにゴール。ホーム最終戦で意気込む柏の追撃を2得点に抑え、逆転優勝に望みをつないだ。終了の笛と同時に吉報を信じてベンチを見つめるが、誰も飛び出してこない。中村は悟った。「ああ、そうか…」。ピッチ上を見渡すと、あちこちで倒れ込んだままの仲間たちの姿が見えた。


 これでリーグ戦は3度目の2位。雨に打たれながら引き揚げる中村の目に光るものがあった。大一番で勝ったことに「1歩1歩進んでいる」と手応えは感じたが「結局また2位。この喪失感は何とも言えない」と絞り出すように言うのが精いっぱいだった。


 就任6年目の関塚監督はJ2からJ1を代表する強豪に育て上げたが、今も無冠のまま。最終節まで激しい優勝争いを展開しながらあと1歩が届かない。「足りなかったのものは」と聞かれると「このへん(際どい優勝争い)を経験していくことが必要なのかな」と自分に言い聞かせるように答えた。もう悔しさは十分に味わった。無冠返上を目指し切りかえるしかない。


2016年 天皇杯準V


<天皇杯:鹿島2-1川崎F>◇決勝◇2017年1月1日◇吹田S



鹿 島21-0
0-1
1-0
0-0
1川崎F

▼得点者

前半42分【鹿】山本

後半9分【川】小林

延長前半4分【鹿】ファブリシオ


【2017年1月3日付紙面より】


 17年も「鹿年」だ! 鹿島が川崎Fを延長の末に2-1で下し、6大会ぶり5度目の優勝を決めた。Jリーグ制覇に続き、今季2冠を達成。国内通算20冠に王手をかけた。来季は国内タイトルだけでなく、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)初制覇も目標に掲げ、クラブW杯決勝で敗れたリベンジに挑戦。世界タイトルも“トリ”にいく。

天皇杯決勝 鹿島対川崎F 天皇杯を制しサポーターとともに喜ぶ鹿島MF小笠原(中央)ら選手たち(撮影)
天皇杯決勝 鹿島対川崎F 天皇杯を制しサポーターとともに喜ぶ鹿島MF小笠原(中央)ら選手たち(撮影)

 川崎Fが悲願の初タイトルをまたも逃した。クラブ創立20年のシーズン最後に初進出した天皇杯決勝。一時はFW小林のゴールで追いついたが、夢はかなわなかった。退任し、名古屋の監督に就任する風間監督、東京へ移籍するFW大久保を胴上げすることはできなかった。リーグ戦での年間勝ち点は浦和に続く2位だったが、CS準決勝、この試合と鹿島に連敗。4年間指揮した風間監督は敗因を「経験の差」と悔しさをにじませたが、「本当に最後まで力を尽くしてくれてチャンスも作れていた。結果は悔しく残念だが、それ以上に選手たちの成長が喜びでもありました」と感慨深げだった。


2017年 ルヴァン杯 準V


<ルヴァン杯:東京2-0川崎F>◇決勝◇2017年11月4日◇埼玉



C大阪21-0
1-0
0川崎F

▼得点者

前半1分【C】柿谷

後半47分【C】杉本


【2016年11月5日付紙面より】


 C大阪の日本代表FW杉本健勇(24)が、47秒で無冠の呪縛を解いた。ともに初タイトルをかけた川崎F戦で開始47秒に先制弾。その後は防戦一方の展開を耐え、後半ロスタイムにMFソウザ(29)の追加点で2-0と突き放した。C大阪はJリーグ参入23年目の初タイトルで賞金1億5000万円を獲得し、MVPの杉本は仲間を思い涙した。勢いに乗り、現在4強の天皇杯で2冠を狙う。

ルヴァン杯を制し歓喜に沸くC大阪イレブン。左はがっかりするMF中村ら川崎Fイレブン(17年11月撮影)
ルヴァン杯を制し歓喜に沸くC大阪イレブン。左はがっかりするMF中村ら川崎Fイレブン(17年11月撮影)

 川崎Fは「シルバーコレクター」を返上できなかった。MF中村は表彰台で歓喜に沸く勝者の姿を目に焼き付けた。開始47秒の失点が重くのしかかった。割り切って1点を守ろうとするC大阪の守備を崩せず、力負け。ラストパスやシュートの精度も欠き、中村は「自分も含めて、決めきるところで冷静にならなくてはいけなかった。悔しい」と言葉を絞り出した。


 03年にクラブに加入した中村は、今回で7度目の準優勝となる。「今回みたいなケースも初めてで…。どれだけ積んでいかないといけないのかというのが正直ある」と、やり切れない思いをにじませた。足りなかったものを問われると「それが分かっていたら優勝してますし。今回に関しては(ミスの失点を)挽回できなかった」。3試合を残して首位鹿島と勝ち点4差の2位につけるリーグ戦を見据え「今日の負けで終わったわけでないし、ここまでやってきたことがなくなるわけでない。ここからどれだけ切り替えられるか」と前を向いた。


2017年 リーグ優勝 ついに初タイトル獲得


<J1:川崎F-大宮>◇最終節◇2017年12月2日◇等々力



川崎F52-0
3-0
0大 宮

▼得点者

前半1分【川】阿部

前半47分【川】小林

後半15分【川】小林

後半36分【川】小林

後半51分【川】長谷川


川崎F対大宮 Jリーグ初優勝を決め、おけに彫られたチーム自作の木製優勝シャーレを掲げる川崎F・MF中村(中央)(撮影・江口和貴)
川崎F対大宮 Jリーグ初優勝を決め、おけに彫られたチーム自作の木製優勝シャーレを掲げる川崎F・MF中村(中央)(撮影・江口和貴)
川崎F対大宮 Jリーグ初優勝を決め、ピッチで涙する川崎F・MF中村(撮影・江口和貴)
川崎F対大宮 Jリーグ初優勝を決め、ピッチで涙する川崎F・MF中村(撮影・江口和貴)
川崎F対大宮 Jリーグ初優勝を決め、青いダルマに目を入れる川崎F鬼木監督(左)(撮影・江口和貴)
川崎F対大宮 Jリーグ初優勝を決め、青いダルマに目を入れる川崎F鬼木監督(左)(撮影・江口和貴)

【2017年12月3日付紙面より】


 川崎フロンターレが悲願の初タイトルをつかんだ。大宮アルディージャに5-0と圧勝。ジュビロ磐田に引き分けた鹿島アントラーズと勝ち点72で並び、得失点差で優勝が決まった。9月に鹿島と最大で勝ち点8差をつけられながらの大逆転。国内3大タイトルで準優勝8度に泣いてきたが、9度目の挑戦で「シルバーコレクター」を返上した。加入15年目の生え抜きMF中村憲剛(37)は地面に突っ伏し号泣。逃し続けてきた栄冠を手にし、歓喜に浸った。


 中村は試合終了の笛と同時に、地面に突っ伏した。仲間がベンチから飛び出す姿に「優勝したんだ」と確信した。03年の加入後、自身が味わった国内タイトル準優勝は7度。その悔しい思い出が走馬燈のように頭に巡り、涙があふれた。表彰台の上で「オレが15年間、探していたのはこの景色だった。長かったです。タイトルを取れずに終わるんじゃないかと思った。感無量です」と喜びをかみしめた。


 クラブとともに成長してきた自負がある。中大4年時は、関東1部昇格に集中し、就職活動もせず、就職浪人覚悟で当時J2だった川崎Fの練習に参加。03年に拾ってもらう形で加入した。契約は1年で、キャンプでは紅白戦にも入れず初日で「クビ」を覚悟した。それでも「クビになった時に次を考える」と野心を秘め、くらいついた。03年、当時の関塚隆監督から「ボランチ」の新境地を与えられ、才能が開花し、チームもJ1に昇格した。


 小柄な体格ゆえ、相手のマークに苦しんだ時期もあった。バルセロナMFイニエスタらの映像を見て研究し「相手の届かない位置でボールを受け、相手が寄せてくる前に出す」と知恵と技術で克服。日本代表へと羽ばたき国際Aマッチも68試合出場。名実ともに川崎Fの顔になった。


 だが、タイトルだけは無縁だった。ライバルチームが喜ぶ姿を、何度も真横で見せつけられ「自分がいるから優勝できないのかもしれない」とまで思い悩んだこともある。15戦無敗で鹿島に追いついての優勝に「いろんな呪縛が解き放たれた。今までやってきたことが間違っていなかったことが証明できたことが何よりうれしい」と話した。


 この15年の無冠の試練を今はこう受け止める。「もし、30歳でタイトルが取れていたら、ここまでサッカーをやっていなかったかもしれない。タイトルを取れなかったからこそ、去年、この年でMVPもらったり、今年の優勝につながったと思う」。常に口にするのは「中村史上最高」。シルバーコレクターを卒業した来季、再び優勝の喜びを味わうべく、チームをけん引する。