サッカー元日本代表で、1月26日に引退を表明した元J1ベガルタ仙台FW平山相太氏(32)が3日、東京・味の素スタジアムで行われたJ1第2節・FC東京対仙台戦の後に行われた引退セレモニーを終え、自ら「最後」と口にして取材陣の囲み取材に応じた。

 平山氏はミックスゾーンに用意されたお立ち台の上に立って、取材に応じた。セレモニーで涙を流さなかった理由について「泣くかな…というのもありましたけど、全然、泣かずに。緊張し過ぎた。ちゃんと話さなきゃと思った」と笑顔で語った。

 引退スピーチの冒頭で「2度と味の素スタジアムのピッチに立つことはないと思っていました」と語った。そのピッチに立った感想について質問が飛ぶと「サッカー以外で立つことはなかった。引退して、Jリーグのピッチに立てるとも思わなかった。本当に恐縮…恥ずかしさもあったんですけど、2度と立てないと思ったところに話をいただいたので、やらせてもらった。最後に、自分が家族だと思っていた場所に立てたので、とてもうれしかった」と感慨深げに語った。

 東京サポーターから、2年ぶりに“平山コール”を受けたことについては「(仙台への移籍から)1年しかたっていないんですけど、1年がすごく長く感じていたので、すごく懐かしく感じた」とかみしめるように語った。17年開幕直後の練習で左くるぶし付近の腱(けん)を脱臼した影響で、プロ入り後、初めて公式戦に出場できなかった、仙台での苦悩の日々をかいま見せた。

 05年にオランダ1部ヘラクレスでプロデビュー後、引退まで最も印象に残ったゴールについて聞かれると「ゴール自体は自分にとって全部、一律」と口にした。その上で「強いて挙げるなら、ナビスコで優勝した時に挙げたゴール」と、2009年(平21)11月3日に東京・国立競技場で行われたナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝・川崎フロンターレ戦の後半14分に頭で決め、チームに優勝をもたらした2点目のゴールを挙げた。

 国見高時代は、選手権で2年連続得点王に輝くなど“国立男”の異名も取った。取材陣から「今日のセレモニーの映像を見ていると、国立競技場が似合う」と声が掛かると、平山氏は「新国立になるんで…(20年)東京五輪から。また“新国立男”が出てくると思います」と後進に期待した。期待の後進の1人、16歳の東京MF久保建英が後半25分から途中出場した。平山氏は、久保が自分と同じ応援歌だと聞き「恐縮です。今日もプレーを見てうまいというか、才能があると思いました」と評価した。

 この日は、東京時代の先輩で先に引退していた石川直宏氏(36)、羽生直剛氏(38)から花束を受け取った。「引退のことを話した時『まだやれる』と言われましたけど、今日は『お疲れさま』という言葉をいただきました」と感謝した。東京の選手たちから人生で初めて胴上げもされ「みんなに『重い』って言われました」と笑った。

 引退セレモニー前の東京対仙台戦では、国見高3年時に選手権と全国高校総体をともに制した同期の仙台GK関憲太郎(31)が、1-0の完封勝利に貢献した。平山氏は「自分ができない分、応援すると伝えたので多分、僕のことを思ってプレーしたと思います。試合が終わった後、仙台が味スタで初めて勝ったとうれしそうにしていました」と笑みを浮かべた。

 平山氏は今後、指導者と解説者を目指す。7日のルヴァン杯で解説者デビューするといい「話すのも下手なんで、サッカー、話すこと…1つずつ勉強していかなければならない。優しく、お手柔らかにしてください」と報道陣に呼び掛けた。

 目標とする指導者像についても言及した。国見高時代の恩師の小嶺忠敏・現長崎総合科学大付高監督(72)を目標の指導者として挙げているが「サッカーだけじゃなく人としてのあり方を高校3年間で学び、卒業してプロ生活でも少しずつ成長できた。そこを教えられる人になりたい」と抱負を語った。

 平山氏は8分ほど語った後、「(囲み取材を受けるのは)最後っすね…ありがとうございました。頑張って下さい」と報道陣に呼び掛け、すがすがしい笑顔で会場を後にした。【村上幸将】