元ヴェルディ川崎(現J2東京ヴェルディ)GKで、4月に末期の胃がんで余命3カ月だと公表していた藤川孝幸さんが、15日に亡くなっていたことが20日、分かった。56歳だった。川崎市出身。

藤川さんとV川崎の前身、読売クラブからプレーをともにした、元日本代表の都並敏史氏(57)は同日、千葉県内で関東サッカーリーグ1部ブリオベッカ浦安の監督就任会見後、ニッカンスポーツコムの取材に応じた。「僕は1年間、ずっとメールや、会ってやりとりをして、最後は病院にも行きました。覚悟していましたけれど…つらい。ここ2、3日は体に力が入りません」と悲痛な思いを吐露した。

都並氏にとって、藤川さんは中学時代から、ともに戦ってきた盟友だ。闘病中の藤川さんを応援しようと、読売クラブやV川崎の面々が集い、5月27日に東京・味の素スタジアムで行われた東京V-愛媛FC戦の前座で開催された「藤川孝幸激励マッチ」には、藤川さん本人が駆け付け、都並氏も出場した。

試合後、藤川さんは「17年末で、胃がんだけで4・5センチあって、リンパも8センチ、それ以外の7カ所も3センチくらいの、がんがある。医師からは『(がんが)内臓を圧迫して、どうしようもない状態で、余命3カ月。抗がん剤治療も手術も何も出来ないから、痛みだけ止めてくれ』くらいのことを言われた」と病状を告白。一方で「半分くらいまではいかないけれど、かなり良くなってきている。何とか奇跡を起こして、みんなに恩返ししたいと思っています」と復活を誓っていた。

都並氏によると、7月に城彰二氏とともに、藤川さんが社長を務める北海道サッカーリーグ所属の社会人チーム「北海道十勝スカイアース」のホームタウン・帯広市と十勝地方を訪ね、サッカースクールを開いたという。その際、藤川さんは「元気」と言いつつも「食べられなくなった」と吐露したという。都並氏は「弱っていたと思う」と沈痛な表情で振り返った。

その後、藤川氏は秋口に体調が悪化し、自宅のある関東近郊に戻り、治療を続けていた。都並氏は会いに行くこともあったが、藤川さんが9月以降、「あまりに調子が悪くて会えない」と口にしたため、メールのやりとりが中心となった。そのメールも途絶えがちになり、藤川さんの妻に連絡を取ったところ、緩和病棟に入院することになったと聞き、亡くなる直前の11月9、12日に病院を見舞ったという。

都並氏は「逐一、報告を受けていました。最後は治療がいまいち、うまくいっていないと聞いていました。12日に会った時は、やせこけていて厳しいと思った。僕は、おやじを末期がんで亡くして状態を知っていたので、厳しいなという感じがありました」と、目元を潤ませつつ、藤川さんの亡くなる直前の様子を明かした。

亡くなった翌日の16日には、自宅を訪問し、お別れしてきたという。都並氏は「(藤川さんの顔は)病院に行った時よりは、すごく穏やかで…。中学の時に極真空手をやって、弱かったメンタルが、ものすごく強くなったんですが…。全国を仕事で飛び回り、朝から晩まで働いているのに、朝7時から空手のトレーニングをやった時もあった。『それは、お前、きつすぎるだろ。無理するなよ』と言ったんですが…。昭和のスポーツやってるヤツは、みんなそうですけど、あいつは別格。強くなった気持ちに体が追いつかなくなったのかな」と言い、目を潤ませた。【村上幸将】