名場面に名言あり。サッカー界で語り継がれる記憶に残る言葉の数々。「あの監督の、あの選手の、あの場面」をセレクトし、振り返ります。

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「悔しいと思えば、また強くなれるから」。02年5月17日、ワールドカップ(W杯)日韓大会の日本代表発表でMF中村俊輔が落選した。日本代表発表は異例の形で行われた。トルシエ監督はコメントを発表しただけで、リストを読み上げたのは日本サッカー協会のスタッフだった。中村は自宅のテレビで落選を知ると、その1時間半後には、横浜のクラブハウスで待ち受ける約100人の報道陣に対応した。

00年にシドニーオリンピック(五輪)、JリーグMVPと輝かしい実績を積み上げてきたが、W杯前年の01年はけがに泣かされた。5月に両股(こ)関節内転筋付着部炎と悪性の風邪を患い、約70日のブランクを経て7月に復帰したが、本調子とは程遠く、コンフェデレーションズ杯など代表から遠ざかった。W杯イヤーで再び本来のプレーを取り戻したが、代表では本来の「トップ下」でなく「左サイド」が主戦場だった。代表発表前の最後国際親善試合2試合で、トップ下でもプレーしたが、指揮官の胸には響かなかった。

落選後の取材対応は冷静だった。悔しさは? と問われると、当時23歳の中村はこう答えた。「今はない。でも、テレビで見たりすれば、去年にケガとかで出られなかったコンフェデレーションズ杯の時のように、悔しくなると思う。やっぱり、第三者的には見られないし、そうして悔しいと思ったらまた強くなれるから」。

02年夏、中村はイタリアのレッジーナへ羽ばたいた。その後もスコットランド1部セルティック、スペイン1部エスパニョールでプレー。W杯日韓大会の代表入りはかなわなかったが、06年のW杯ドイツ大会、10年のW杯南アフリカ大会では日本代表に選出された。10年に横浜F・マリノスに戻り、13年に史上初の2度目のMVPを受賞した。41歳の今季も、横浜FCで現役を続け、開幕のヴィッセル神戸戦で史上最年長で開幕先発を遂げている。