2010年の11月20日に、Jリーグの名古屋グランパスというクラブがリーグ初優勝を成し遂げた。圧倒的な強さで悲願のタイトルをつかみ取り、主将の楢崎正剛がシャーレ(優勝銀皿)を掲げた。それぞれの立場から、この10年と今を描く連載「グランパスVから10年」。過去に10年ほど担当した元記者がお届けする。

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2010年の名古屋グランパスの優勝は、現状、最初で最後になっている。

2011年はもっと強かったが、柏レイソルに優勝をさらわれ2位。そこからは喜びより、悲しみの約10年だった。

監督も選手もクビや退団、一方的な契約満了、そして不可思議な出戻りが、続いた。順位は下降線。ついには2016年に16位になり、初めて、J2に降格してしまう。

汚点。

そして、あの優勝を知る選手は、ほとんど誰もいなくなった。

まるで事件簿のようなネガティブな出来事が続いた。うそのようなホントの話や、ホントのようなうそが、ただただ、垂れ流された時期もあった。

2017年からは、別のクラブに生まれ変わったと言った方がいい。

1年でJ1に復帰した。観客動員などで健闘している。愛知県生まれ、下部組織で育った菅原由勢が、オランダのAZアルクマールに移籍して飛躍し、日本代表に招集された。

コロナ禍の2020年のJ1リーグでも、結果を残している。多くの選手を、日本代表選手に支払うような破格の高給で雇い、上位につけている。それをやってのける体力がある。

2016年にトヨタ自動車の子会社となった。コロナ禍でも、変わらぬ経営基盤がある。

一寸先は闇のサッカー界だが、おそらく、10年後も、このクラブ「名古屋グランパス」は変わらず存在し続けているだろう。

ただ、10年先も今回のように、20年前の優勝を思いだし、話題にするのはさみしい。

 

 

優勝を知り、その後の10年も知る楢崎正剛は、存在自体がクラブの象徴であり、歴史そのものである。

孤軍奮闘し、どうあがいても優勝できなかった時も、ともに支えてくれる仲間がいて、移籍加入から12年目でようやく優勝を手にし、JリーグMVPに輝いた10年も、その後のJ2降格からJ1復帰、そして、ピッチに立つ機会のないまま18年シーズン限りで引退というキャリアのほとんどがグランパスで、今はトップチームにこそ一切かかわっていないが、クラブの名誉職のような役職を務め、下部組織でも教えている。

優勝できなかった時代を知り、優勝した手ごたえがあるから、言うことができる。

「優勝できなかった時は、自分の力がないのかなと思って悩んだり、考え込んだこともあった。でも、優勝したから分かる。当時のことを考えると、闘莉王1人、いや、たとえ闘莉王が2人いたとしても、それだけで優勝するのは無理だった。そもそも、あいつが2人いたら、傷つけ合って2人とも死んじゃう。そういったところをうまくサポートするところに、自分の役割、存在意義があった。優勝するために必要なこと? 簡単なことなんですよ、言うのは…。必要なのは間違いなく『団結』『1つになること』、これに尽きます」

 

 

2010年は、ピクシーもいて、久米一正もいた。楢崎がいて、田中マルクス闘莉王もいた。船頭は多いようにみえたが、名古屋グランパスは、道に迷わなかった。

ただ単に、個性的で力のある人物がそろったからではなく、一丸になって、優勝へとひた走った。

たとえば、楢崎と闘莉王の関係のように、支え合うことが『団結』『1つになること』の第1歩だろう。10年たっても、陰からでも、ひそかにクラブに恩返ししたいと思っている人物は多い。

阿部翔平は、所属したジェフユナイテッド千葉、ヴァンフォーレ甲府への感謝と現在の所属クラブへの思いを語りながら、「どこかで名古屋のためになりたい」と言った。

増川隆洋も「サッカー界を離れる気はない。何かしら、できたらいい」。小川佳純は「いつか戻る日が来たら、その時にちゃんとクラブの戦力になれるように」と口にする。

 

 

2017年から、グランパスは、サポーターを「ファミリー」と呼びはじめた。

それは、それでいい。

ただ、わざわざ設定するより先に、自然と「ファミリー」と呼ぶべきは、かつてクラブに貢献し、今は外から気をもむOBたちであるべきだ。

選手に限らず、当然、元スタッフにも、その資格がある。もちろん、サポーターが「ファミリー」であることは、間違いない。

出て行った、出て行かざるを得なかった選手たちが「ただいま」と、正面玄関から帰ってくることのできるクラブであってほしい。

2度目の優勝よりはるかに難易度は高いだろうが、願わくばOBの吉田麻也が、欧州でのオファーを断ってでも戻りたいと思えるクラブに、OBの本田圭佑に、ほんの一瞬でも日本でプレーしてもいいと思わせるようなクラブであってもらいたい。

今後10年、いや10年では無理かもしれないが、いつかそうなることができれば-。

その時にはきっと、2度目、3度目の優勝にも、簡単に手が届くようになるはずだ。

そのためにも、このオフ、今すぐにでもできることから、手を付けてもらいたい。(おわり)【八反誠】