24日まで1週間ほど、カタールのドーハへ出張に行く機会に恵まれた。22年ワールドカップ(W杯)カタール大会組織委員会が、大会に向けての準備状況や現地の魅力を発信するために、世界中からメディアを招いたのだ。

英国、スペイン、ロシア、中国、メキシコ、ブラジル、アルゼンチンなどから来た記者、リポーターたちとともに、筆者も日本からただ1人参加。国内カップ戦「アミール杯」決勝を観戦し、同試合が行われたアルトゥママ・スタジアムをはじめとする複数スタジアムや関連施設、そして大会アンバサダーたちを取材した。その様子は紙面、インターネットにておいおい紹介していきたいと思っている。

出張中、各スポーツの若手有望選手を集めた育成機関「アスパイア・アカデミー」を訪れている時に、なつかしい顔に出会った。元オーストラリア代表で、現在は同アカデミーの「チーフ・フットボール・オフィサー」(サッカー部門のトップ)を務めるティム・ケーヒル氏から説明を受けていた時だ。ニコニコして顔色の良いおじいちゃんがこちらに歩み寄ってきた。

この人、誰だっけ? と思いながら見ていると、ケーヒル氏が「ヘイ、ボラ」と言いながら、おじいちゃんと抱擁。あっ、ボラ・ミルチノビッチ監督だ! と思い出した。

現在77歳のミルチノビッチ氏はメキシコ(86年)、コスタリカ(90年)、米国(94年)、ナイジェリア(98年)、中国(02年)とW杯5大会連続で異なる5カ国を率い、うち4チームを決勝トーナメントに導いた名将。中国代表だけは決勝Tには進出できなかったが、同氏の手腕でW杯初出場を果たしたとあって、いまだに英雄的な存在として認知されているという。

ミルチノビッチ氏は監督生活の晩年にカタールのアルサドを指揮。アドバイザーとしてアスパイア・アカデミーにも関わってきた。現在もカタール在住で、我々メディアが訪れると聞いてわざわざ顔を出してくれたのだ。

そんなミルチノビッチ氏はとにかく「好々爺(や)」という言葉がぴったりな優しいおじいちゃん。ケーヒル氏から「指導者の中で最もリスペクトしている、自分にとってはサッカー界のゴッドファーザー」と紹介されると、「ゴッドファーザーなんて言わないでくれよ。友達でいいじゃないか」と照れ笑いを浮かべていた。

帰り際、突然、ミルチノビッチ氏が「みんな、ちょっと集まってくれないか?」と声をかけた。何かと思って集まると「はい、これ」と言ってW杯のスタジアムが描かれたマグネットプレートをサプライズでプレゼントされた。同氏のかばんには大量にマグネットプレートが詰め込まれており、ケーヒル氏にまでそれを渡している姿を見て、何だかおかしく、そして温かい気持ちになった。

母国語のセルビア語以外にも英語、スペイン語、イタリア語、フランス語が堪能というだけでは多くの国々で指導者として成功はできない。こういうおちゃめな一面もあるから、周囲から愛されてきたのだろうと想像した。

ミルチノビッチ氏に「過去に日本代表監督のオファーが来たことあるんじゃないですか?」と質問した。すると「そんなのないよ。でも東京には住んでみたかったなあ。昔、行ったことがあるけど良い街だったよ」と人懐っこい笑顔を見せていた。【千葉修宏】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「海外サッカーよもやま話」)