<岡田監督インタビューその1>

 前日本代表監督で中国スーパーリーグ杭州緑城を指揮する岡田武史監督(56)が、異国での就任1年目のシーズンを終え、日刊スポーツのインタビューに応じた。一時は今季限りでの退任の意向を固めながら続投を決意した心の移り変わりや、反日運動が激化する中で感じた自身の役目、外から見る日本サッカーの現状などについて語った。そのインタビューを3回に分けて掲載。1回目は中国での監督1年目を振り返る。

 不慣れな中国で就任1年目のシーズンを終えた指揮官は、富士山をのぞむ自宅の居間で愛犬を抱きかかえながら、リラックスした表情を浮かべていた。八重子夫人が入れたホットコーヒーからは緩やかに湯気が上る。1月の本格始動から中国人に自覚をうながし続けることで意識改革を図り、終盤は残留争いに巻き込まれた。岡田監督はそんな1年をゆっくり振り返った。

 岡田監督

 1年を終えてみて、結果とか内容については物足りないとは思う。ただ、そんな中で選手、スタッフ、チームは本当によく最後までついてきてくれた。必要とされていると強く感じたから、来年こそ良い成績、良いサッカーでみんなを喜ばせたい。

 選手には自律を求め続けた。就任直後に下部組織から19歳の若手を一気に昇格させ、育成をしつつ結果を残すという「難題」にも挑んだ1年だった。

 岡田監督

 (昇格させた)若手は素晴らしく才能があったが、実際の試合でそれをいかせなかった。花や葉は出ているけど、根っこがしっかり伸びていない感じ。彼らを試合で使うと勝てないというジレンマはあった。ただ、中国人はレイジー(怠け者)だと聞いていたけど、全然そうじゃなかったのは想定外だった。

 自律をうながすことで中国人選手の成長を感じることもできた。逆に自律への階段を上れず、チームを去らざるをえない者も出た。

 岡田監督

 かなり変わってきた。当初から自己管理、自己責任を求めた。あと、自分が良ければいいというのではなく、チームが勝つために戦うという意識を持てと。中国人コーチには「甘すぎる。中国人は管理しないと」と言われたけど、僕はしなかった。管理すれば短期的には良いけど。問題は起きるし、実際起きて犠牲者(解雇された選手)も出た。でも、長い目で見たら必ず成果が出る。

 シーズンが進むにつれて、ハーフタイムの選手たちの姿勢も変化が表れた。

 岡田監督

 最初はハーフタイムに控室に帰ってくると選手はシーンとして僕の顔を見てた。「お前ら、何か話すことはないのか?」と言うと、ボソボソという感じ。でも終盤は残留争いをしたこともあって、激しく話し合う姿が見えた。

 就任直後はリーグ制覇を目標にしていたが、4~5試合をこなした時点で目標を昨季の勝ち点39に下方修正。一時はリーグ戦で最下位に沈んだこともあった。7月には中国代表歴もある主力DF杜威(ドゥ・ウェイ)が山東魯能に引き抜かれると、さらに「残留」を目標に置いた。

 岡田監督

 杜威がいなくなった時に、選手に「このチームは残留争いをする可能性が高い」と伝えた。その後「俺は絶対に残留させる」と言ってしまったので、選手は監督が何とかしてくれる-と思っていただろうけど、最後の方は「監督には任せておけない」と思ったんだろう(笑い)。彼らは自らやるようになった。僕は必要なことしか目の前で起きないと思っている。このチームは残留争いが必要だったんだと思う。今季中途半端な成績だったら、来季が危なかった。このチームにとって来季に向けて降格のピンチというのは必要だった。(その2へつづく)【取材・構成=菅家大輔】

 ◆今季の中国スーパーリーグ

 年間強化費が80億円以上の広州恒大が2連覇を達成。シーズン途中でイタリアの名将リッピ氏を2年半契約の総額25億円(推定)で呼び寄せ、パラグアイ代表FWバリオスも獲得。圧倒的な戦力で優勝を飾った。2位は江蘇舜天、3位は北京国安、今季昇格組でバルセロナからMFケイタを獲得するなど資金豊富な大連阿爾浜が4位だった。

 資金力豊富なクラブが上位に入る一方、「金満」でアネルカ、ドログバという世界屈指のFWを獲得した上海申花は9位。名門の山東魯能も10位に沈んだ。岡田監督の杭州緑城は9勝9分け12敗で12位。下位2クラブの上海申鑫、河南建業が規則通り降格するはずが、14位大連実徳が大連阿爾浜に吸収合併されクラブ数が減ったため、最下位の河南のみが降格となる可能性もある。

 ◆岡田武史(おかだ・たけし)1956年(昭31)8月25日、香川県生まれ。大阪・天王寺高、早大を経て、80年に日本リーグ古河電工(現J2千葉)入り。日本代表の国際Aマッチ27試合1得点。94年11月に日本代表コーチに就任。97年10月に監督に昇格、98年W杯フランス大会は1次リーグ3連敗。99年から札幌、03年からは横浜を指揮して03、04年J1連覇。07年11月にオシム監督急病で、再び代表監督に。10年W杯南アフリカ大会で16強進出。昨年末に中国スーパーリーグ杭州緑城の監督に就任。家族は夫人と2男1女。