神野大地(25=セルソース)が2時間11分5秒で日本人4位、全体8位だった。20年東京オリンピック(五輪)の代表選考会マラソングランドチャンピオンシップ(MGC、9月15日)出場を決めた。

神野は昨年の東京を2時間10分18秒(18位)で走っており、MGCへワイルドカードで出場するために2時間11分42秒以内(出場資格期間内の上位2つの記録の平均が2時間11分以内)が条件だったが、それをクリアした。

16・5キロで第2集団から遅れたが、そこから粘った。最後まであきらめない「山の神」らしい我慢のレースだった。

レースを終えた神野は「これまであと1歩のところで(MGCを)獲得できないレースが続いていたので、すごくうれしいです」と話し、顔に安堵(あんど)の笑みを浮かべた。

過去4度のマラソンは腹痛に襲われて、苦しんだ。今回も決して満足できる走りではない。それでも二人三脚で歩む先輩のためと意気込んだ今大会で結果を出した。

コニカミノルタを退職し、プロに転向したのは昨春。17年12月の福岡国際での初マラソンで2時間12分50秒の13位に沈み、覚悟を固めた。そのためにパートナーに懇願したのが、青学大で1学年上のマネジャーだった高木聖也さん(26)。都内のファミリーレストランでメガバンクに勤めていた先輩に「プロになりたいです。本気で考えています」と告げ、協力を求めた。

将来のことを考えた先輩はその4日後、「頭を下げてでもやりたい」と逆に告げ、2人で歩むことが決まった。ともに安定した所属先を捨て勝負に出る決断を下した。8月の退職後、神野の所属先がセルソースに決まる11月までは実質、収入は0の時もあった。ただ、神野は実業団時代には取り組めなかった長期のケニア合宿を敢行。今回も標高2300メートルのケニアの高地で約1カ月過ごした。1日3食の用意も、異国の地に同行した高木さんの役目だった。

神野はレース前日の2日、ツイッターに「聖也氏ありがとう」とつづった。「神野大地 自分と努力を信じ 走れる悦びを感じ きつい時こそ気持ちに余裕を 決して諦めない」という、贈られた言葉の画像とともに。これも高木さんが神野を鼓舞するため、知人に頼み書いてもらったものだった。

“5度目の正直”でMGCの出場権獲得という目標をクリアした神野だが、「今の力のままでは戦えるレベルにない。プロランナーとして戦えるレベルになるよう準備をしていきたい」。あらためて闘志がわいた。

夢の東京五輪へ、支え続けてくれる先輩とともに2人で走り続ける。