女子マラソンで、野口みずき(26=グローバリー)が悲願の金メダルを獲得した。27キロ付近で先頭集団から抜け出すと、30キロ過ぎから完全に独走。昨年の世界選手権覇者ヌデレバ(ケニア)に追い上げられたが、2時間26分20秒で優勝した。日本女子では前回シドニー大会の高橋尚子(スカイネットアジア航空)に続く金メダルを獲得。同じ国の連覇は女子マラソンでは史上初の快挙となった。五輪発祥の地で、野口が伝説の最強ランナーになった。

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小さな最強ランナーの誕生だ。パナシナイコ競技場に最初に飛び込んだのは150センチ、40キロの野口だった。全身をはずませる大きなストライド。27キロ付近でスパートをかけた。エチオピアのアレムを突き放すと、ひたすらゴールを目指した。昨年の世界選手権覇者ヌデレバの猛追を受けたが、そのまま逃げ切った。

世界記録保持者のラドクリフを筆頭に強豪がそろっていた。しかし、自信があった。スイスでの直前合宿で、終盤32キロ以降の下りを想定して走り込んだ。疲れ切った体で、坂道を下る練習を繰り返した。練習後は口をきけなくなった。「だれも追いつけない」。自分の力を信じて走った。

ダイナミックなストライド走法は、体への負担が大きい。起伏の激しいコースには不向きといわれた。そのハンディを筋力を徹底強化することで克服した。朝練習で鉄棒や腕立て伏せで上半身を強化した。実業団入りした当時25キロだったベンチプレスの負荷も32・5キロまでアップ。どんなレースにも耐えられる体をつくってアテネに入った。

昨年8月の世界選手権で銀メダルを獲得。本番1年前に五輪代表に内定した。アテネだけを見据えた長期戦略で調整できた。徹底した走り込みに加えて、月1回ペースでロードレースに出場してレース勘を磨いた。ハーフマラソンと30キロで自己新を出した。今年5~6月の中国合宿では34日間で1350キロを走破。レース前からメダル獲得を確信していた。

98年10月、所属していたワコールの藤田監督が解雇された。師を追って野口も退社した。京都市内のハローワークに通い、失業保険をもらいながら走った。仲間5人で生活費を出し合い、共同生活を送った。99年3月にグローバリーに拾われたが、苦労したことで競技への愛着はいっそう強くなり、タフな気持ちも身につけた。

日本女子として4大会連続のメダル獲得。しかも、女子では初めての同一国の連覇という快挙だ。前回女王の高橋尚子不在の五輪でも、マラソン王国の力をあらためて見せつけた。