駒大のエース田沢廉(4年)が「3冠」に貢献し、3月で監督を勇退する恩師・大八木弘明監督(64)を男にして送り出した。往路を制した駒大が復路も制し、2年ぶり8度目の総合優勝。胴上げの輪に加わった田沢は卒業後、トヨタ自動車で競技を続けるが、4月以降も駒大を拠点に大八木氏のサポートを受ける。お互い新たなステージに立つが、今後もともに世界を目指す。

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往路「花の2区」を担った田沢は、ゴールでアンカーを務めた青柿響(3年)を待った。ゴールテープを切ると、大八木監督と抱き合った。「監督が退く前に3冠が達成できてよかった」と、ホッとした表情を見せた。

監督から勇退をほのめかされたのはちょうど1年前。前回大会で総合3位に終わった後のゴール近くの待機所だった。「そろそろもう終わりかもしれない」。そして昨年の夏合宿。山野主将、円副主将とともに呼ばれ、今度はしっかり伝えられた。「そろそろオレも辞める。体が動かなくなってきた。藤田(ヘッドコーチ)に預けようと思う」。大八木監督は男泣きしながら続けた。「これで終わるから、どうしても3冠したい」。田沢は監督の涙に「久々に全日本で勝った時に泣いていたけど、あまり見たことはない」と明かした。「監督は情がありますよ。言われたら応えるしかない」。3冠へのギアを入れ替えた。

出雲、全日本、箱根の同一年度3冠が、明確なチーム目標となった。「監督が辞める年。リーチがかかっていた」。監督の勇退を心の中にしまい、箱根の事前取材では「特別な思いがある」と繰り返した。

恩師が退く前に目標を達成したことは、大きな喜びとなった。昨年12月に新型コロナウイルスに感染。体調は戻らず、自身の成績は区間3位だった。「走って貢献したかったが最悪だった」と話したが、タスキをしっかりつないだことが、往路Vにつながった。「総合優勝という完全勝利で3冠目を取れたことは心に残る試合。試合すべてに携われたことがうれしい」とかみしめた。

田沢は昨年夏の世界陸上1万メートル代表に選出。世界を目指す足掛かりになった。「監督は最高の指導者。感謝しかないです」。卒業後の拠点も駒大。恩師とともに世界を目指す第2章が始まる。

◆田沢廉(たざわ・れん)2000年(平12)11月11日生まれ、青森県八戸市出身。青森山田高を経て19年に駒大入学。自己ベストは5000メートルが13分22秒60、1万メートルが日本歴代2位の27分23秒44。1万メートルでは21年日本選手権2位、22年7月の世界選手権で20位。全日本大学駅伝は1年時から4年連続区間賞。箱根駅伝は20年が3区3位、21年が2区7位、22年が2区区間賞。180センチ、61キロ。

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