72年札幌五輪でフィギュアスケート会場となった真駒内屋内競技場の近くに大会の名残がある。かつて選手村で現在は11階建て分譲団地の一室の壁に「Peace Love+Life」のサイン。書いたのは女子シングルに出場したジャネット・リンだった。住み始めて7年目になる内藤義孝さん(75)と桂子さん(70)夫婦は「テレビで見ていて、リンさんはとてもかわいらしかった」と当時を振り返った。

 日本中が18歳のとりことなった。72年2月7日の女子フリー。コンパルソリー(規定)で4位だったリンは得意のフリーで真っ赤なドレスで登場した。愛くるしい笑顔と華麗な演技に約1万1000人の観衆が、魅了された。日本スケート連盟理事の畑中悦子さん(68)は記録係として大会に関わり、リンク横の“特等席”から見守った。「最初から最後までジャネット・リンの独特な世界観がリンクの上に漂っていた。鳥肌が立つほどすごかった」と話す。

 フィニッシュに向かっていた時。リンはスピンで尻もちをついた。畑中さんは「あっ!て息をのむ感じだった。空気が静まり返っていたようでした」。だが、一切の動揺を見せずそのまま立ち上がり、笑顔で演技を続けた。「まるで何事もなかったようにサラッと滑っていった」と畑中さん。けなげな姿に観客からは温かい拍手が送られた。

 ミスはありながら芸術点は満点が出たが、コンパルソリーの順位が響いて銅メダルだった。「悔いは一切なし。演技と同じ満面の笑みでしたね」。表彰式で先導役を務めた畑中さんはリンの表情を思い出した。

 五輪を終えたリンは宿舎部屋の壁に平和を祈ってサインをしたためた。現在、内藤さん夫婦の自宅にあるのはリンが翌年、公演で訪れた時に書き直したもの。これまでアクリル板で覆うなどして、歴代の家主が保管してきた。孫の倫太郎くん(11)の名前は「五輪」と「リン」が由来だ。40年以上たった今でも、真駒内に残された宝物は大切に守られている。【西塚祐司】

ジャネット・リンのサインと内藤さん(撮影・西塚祐司)
ジャネット・リンのサインと内藤さん(撮影・西塚祐司)
札幌五輪を振り返る畑中さん(撮影・西塚祐司)
札幌五輪を振り返る畑中さん(撮影・西塚祐司)