年も明け、ついに2020年がやってきた。2020年と聞いて思い浮かぶのは、やはり東京2020大会。2019年は忘れもしない、ラグビーW杯2019があった。スポーツに関わる私としては、とてもうれしい時間だった。

今回の「ハナことば」は、お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが、久々の執筆になる。2019年はプライベートで大きな変化があり、タフな1年だった。このコラムでも報告させてもらった、結婚があった。

そして、去年の4月に妊娠が分かり、出産した。


出産してママになりました
出産してママになりました

仕事は正産期(37週から41週)に入ったころまで続けた。体調を見ながらギリギリまで働くことができた。私自身、妊娠して初めて分かったことだらけだった。

妊娠が分かった時はうれしくて、うれしくて、夫と大喜びした。命がこの体に宿っていることに神秘を感じ、喜びに満ちあふれた。「誰に連絡しよう」。まずは互いの母親に連絡。ここまでは連絡することがうれしかった。

しかしその後、考えた。仕事でお世話になっている方、仕事での仲間、友人や関わってくれている人たちに「いつ連絡すればいいのか?」。とても考えた。なぜ悩むのか。

妊娠が分かった時は、まだ5週。私は38週で出産したから本当に初期。この命が無事に成長するのか、という不安もあった。

安定期という言葉を聞くと思うが、一般的に妊娠16週(妊娠5ヶ月)ころに入ったことをいう。安定期だからもう安心ということではなく、「妊娠する環境が整った」ことを言うらしい。切迫流産や切迫早産の可能性が低くなる。だから、安定期になったらといって、何もかも安心なわけではないのだ。

私は、いつごろ仕事場で言えばいいか本当に悩んだ。もし赤ちゃんに何かあったら、「体調を優先して働くこと」を周囲に伝えるとしても、それで大丈夫だろうか、などといろいろ考えてしまった。

結論としては、婦人科から産科へ病院を移行して、そこではっきり妊婦健診の予定が立てることができたら、一部の人(より近い距離で仕事をしている方)に伝えようと思った。夫と相談できたことでも安心できたと思う。それが8週から11週の妊娠3カ月の時だった。

私は、つわりもひどかったので、一部の方に伝えることができて本当に安心したのを覚えている。

そこからマタニティーライフが始まるのだが、よく言われる十月十日おなかにいる。体力はある!と自信はあったが、不安も多かった。

担当の先生には「あとは赤ちゃんの生命力次第」と言われた。でも何かあったらどうしよう。やはり初めての妊娠ということだろうか。

仕事をするとなると、次に不安なのは、移動だ。つわりでずっと気持ち悪いのと、立ちくらみや、疲れやすいのと眠気がすごかった。よくレモンとかすいかを食べ続けたと聞いたことがあった。私は、すいかとぶどうだった!不思議なものだ。

つわりってどんなものか分からなかったが、なってみると「いつ終わるの?」「出産まで続いたらどうしよう?」など、尽きない不安とイライラした気持ちを抑えられないこともあった。しかし、私には幸いなことに周囲に話せる人がいた。夫がいたし、出産経験のある友人や、同時期に妊娠中の友人もいて、さまざまな情報を教えてくれた。職場でも「おめでとう」と声をかけてもらったことで、本当に前向きに妊娠生活を送れたと思う。

つらかったつわりは6カ月で終わり、次はおなかが大きくなってくる。マイナートラブルも増えてくる。そのおなかを見て電車で席を譲ってくれたり、前に座っていた老夫婦が「楽しみだね」と声をかけてくれたり、関わってくれた方のおかげで出産が楽しみになった。プールに通ったりして仲間もできた。


おなかが大きかったころ
おなかが大きかったころ

予定していた仕事も終え、産休に入ったころ、「そろそろかな?」。38週で陣痛が来た。「1時間に6回、定期的に痛みがきたら病院に連絡してください」。病院に着いて、すぐ分娩(ぶんべん)室へ。9時間後に無事出産した。

わが子のうぶ声を聞いた時は、妊娠期間のことを思い出したのと、無事生まれてきてくれたことで涙が出た。担当の先生、助産師さん、仕事を調整して立ち会ってくれた夫、話を聞いてくれた友人、家族に心から感謝したい。

妊娠、出産は本当に奇跡だ。身をもって命の大切さを実感した2019年だった。当たり前が当たり前でないことを、学ばせてもらった。妊娠期間中に支えてくれたすべての方、本当にありがとうございました。そして、母にしてくれたわが子にも感謝したい。

(伊藤華英=北京、ロンドン五輪競泳代表)