ノルディックスキー複合の渡部暁斗が、1月24日のW杯ラハティ大会で通算19勝目を挙げて、あの荻原健司の日本勢最多勝利に並んだ。

五輪の銀メダリストでもある彼の原点は98年長野五輪。ジャンプ団体で日本が金メダルを獲得した吹雪の中の大逆転ドラマを会場で見ていた。当時小学3年生。競技の記憶はおぼろげだが、観客の熱気が強く心に残ったという。その熱に突き動かされ、数カ月後にジャンプを始めた。

このエピソードは2つのことを示唆している。1つは地元開催の五輪が発する強い熱は、世代を超えて多くの人に希望の種を植え付け、長い時をへて大きな花を咲かせるという計り知れない力があること。そして、もう1つは観客席から沸き起こる歓喜や悲鳴がつくりだす独特の熱気が、人々の心を動かす記憶には欠かせないということだ。

96年アトランタ五輪の陸上男子走り幅跳びで4連覇を達成したカール・ルイス(米国)は、金メダルが決まった瞬間、満員のスタンドに向かって駆けだした。私が現場で最も感銘を受けたのは、8メートル50の大ジャンプではない。8万3000人の「U・S・A」の大合唱の中、星条旗を身にまとって涙にむせぶルイスの姿だった。大観衆を「まるで家族のようだった」と彼は言った。下馬評を覆す35歳の偉業は、観客と一体となって達成されたのだ。これが五輪なのだと感激した。

1年延期された東京五輪が開幕まで半年を切った。新型コロナウイルスの世界的な拡大が収束しない中、無観客での開催を訴える声も出ている。感染対策を最優先することに異論はないが、スタンドの歓声や熱気が消えた五輪は、やはり私には考えられない。人数を限定してもいい、厳格なルールを決めた上で何とか観客を入れる方策を考えられないものか。

8年前に取材した、64年東京五輪で日本人に絶大な人気を誇った体操女子の金メダリスト、ベラ・チャスラフスカ(チェコ)の話を思い出した。「観客の声援は私にとってガソリンのようなものでした。舞台に上がっただけで拍手が聞こえてくる。この人たちを絶対に失望させてはいけないと、さらに頑張る気持ちになったのです」。

夢と希望に満ちた五輪の幾多の物語は、選手と観客が一緒になってつくりあげたものでもあるのだ。それは映像や情報通信の技術が発達した今も変わらない。【首藤正徳】(敬称略)(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)