「チャレンジ」。平野歩夢の口から何度も出た言葉が、競技が終わった後も繰り返された。スノーボードで圧倒的な地位を築きながら「失うものはある」とリスク覚悟で東京大会を目指した。「誰もやったことがないから、挑戦したい」という言葉を聞いて「スケーターらしい」と思った。

サーフィン、スノーボード、スケートボードは「兄弟」と言ってもいい。パーク女子銅メダルのスカイ・ブラウン(英国)が「パリ五輪はスケボーとサーフィンで出場を目指す」と言ったように、両方やる選手も多い。ただ、トップレベルとなると簡単ではない。

冬季五輪で平野と争った米国のショーン・ホワイトは早々とスケボー挑戦を表明したが、米国の厚い選手層に阻まれ断念。スノボのハーフパイプに似たバート(バーチカル)種目ならXゲームで優勝しているが、動きがまったく違うパークでは力が出せなかった。

平野もバートなら得意だっただろうが、パークでは苦戦した。挑戦を表明した後、初の大会出場となった19年3月の日本オープンで3位。エアの高さは圧倒的で「540」も決めていたが、横の動きやボウルの縁でボードを滑らせるトリックはまだまだ。父英功さんでさえ「そんなに簡単じゃないですよ」と「二刀流」の成功には懐疑的だった。

ところが、その後は急成長した。見る度にライン取りが巧みになり、スノボにないグラインド系のトリックも完成度を増した。「すごく良くなった」と日本代表の西川監督も驚く成長ぶり。五輪ランクは24位、1カ国3人で換算すると15番目。開催国枠ではなく、堂々と出場を決めた。

スケボーでは、独創性が重視される。誰もやっていない技、誰も乗らないルート、誰も使わないセクション…、それが評価される。人と同じことを嫌い、個の自由を重んじる。それも、横乗り系の特色なのだ。

初めてスケートボード日本代表を組んだ18年アジア大会の時、選手団ユニホームを着て選手は戸惑った。選手村で団体行動を強いられ「監獄みたいだった」と言った選手までいた。

選手の取材で困るのは、名前の読みが難しいこと。歩夢は知っていたけれど、心那、碧優、椛、楓奈、碧莉、空良、勇貴斗…。今大会の代表で、すぐ読めたのは雄斗とさくらぐらいだ。どれも「人と同じではない」名前。両親がスケボー好きと聞いて、納得した。

多くの場合、人と同じことをやるのは楽だ。流されていればいい。しかし、平野はあえて困難な道を選んだ。誰もやっていないスノボとスケボーでの五輪出場は果たしたけれど、リスクはこれからで、準備期間が短い不安がある。来年2月の北京冬季五輪まで半年。今度の雪の上で、平野の滑りがみたい。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)

◆超一流、みんな記念すべき初の五輪代表です◆ 心那、碧優、椛、楓奈、碧莉、空良、勇貴斗。ここな、みすぐ、もみじ、ふうな、あおり、そら、ゆきと