ラグビーのトップリーグで西の名門、神戸製鋼が低い前評判を覆している。

 9月30日には敵地静岡へ乗り込み、昨季2位のヤマハ発動機に38-19と快勝。開幕6連勝を記録した。サントリー、パナソニックなど強豪との対戦前とはいえ、03~04シーズンから遠ざかる優勝へ、期待を膨らませるファンも多いだろう。

 この夏は担当記者からしても、不安が募った。開幕直前の8月にはトヨタ自動車と練習試合を2試合実施。0-33、19-43といずれも完敗だった。昨季の戦いぶりも、ネガティブな印象を深くさせたと思う。

 日本代表監督も務め「ミスターラグビー」と愛された平尾誠二ゼネラルマネジャーが16年10月20日に死去。深い悲しみに包まれた昨季は、後半戦に失速した。リーグ残り2試合だった17年1月8日。寒く、大雨のキンチョウスタジアムでクボタに16-23で敗れ、4位が確定した。「神戸のラグビーができなかった…」と肩を落とす選手たち。「やりたかった神戸のラグビーとは具体的に?」。そんな質問に「なんなんですかね…」と頭を悩ませるシーンも見た。


開幕戦でNTTドコモを下し、喜ぶ神戸製鋼フィフティーン(2017年8月18日)
開幕戦でNTTドコモを下し、喜ぶ神戸製鋼フィフティーン(2017年8月18日)

■チームは1年にして成らず

 なぜ、そのチームが息を吹き返したのか。変化の1つは公式戦2日前の練習にある。これまでは連係などを確認し、試合メンバーでの仕上げを重視していた。それが今季はメンバーとメンバー外によるガチンコの実戦練習を行っている。指揮するのは就任2年目を迎えるオーストラリア人のジム・マッケイ・ヘッドコーチ(HC=50)だ。

 求める激しさには代償もあった。今季のある試合前には、先発予定選手がコンタクトプレーで負傷。2日前にもかかわらず、急なメンバー変更を余儀なくされた。それでもマッケイHCはにこやかに言う。「時間は短くていいから、激しさを求める。試合に近い環境でやり、コンタクトプレーのコンディションを上げる。ケガ? それはもちろん考えるけれど、コンタクトの局面に慣れれば、自然としないようになってくるはずだ」。迷いはなかった。

 先日、インターネットニュースで久しぶりの名前を見た。3季前の14~15年シーズンに神戸製鋼を率いた南アフリカ人のギャリー・ゴールド氏が、19年W杯日本大会出場を決めている米国代表のヘッドコーチ(HC)に就任したという。ラグビーファンには周知の事実だが、15年W杯で日本に歴史的金星を許した南アフリカのHCには、ゴールド氏に続いて15~16年シーズンに神戸製鋼を指揮したアリスター・クッツェー氏が就いている。偶然か、必然か…。1代前、2代前のHCがそろって19年に日本にやってくる可能性が高くなった。

 そんな名将といえる2人からチームを引き継いだマッケイHCは、オーストラリア代表で攻撃担当のコーチ経験を持つ。防御面やFWプレーを重視したクッツェー前HCのラグビーを一変させ、昨季はボールを保持しながら得点を目指す攻撃的なスタイルを落とし込んだ。だが、勝利した第6節のリコー戦で39失点(45得点)するなど、防御面の課題を露呈。今季の躍進はオーストラリア代表116キャップを誇るFBアダム・アシュリークーパー(33)ら新戦力の活躍はもちろんだが、マッケイHCがチームの1人1人を理解し、遠慮が無くなったことが大きいように見える。

 1年目は誰もが探り探りになるものだろう。事実、マッケイHCと初めて会った昨年5月に「オファーを受けた時点で知っていた神戸製鋼の選手は?」と尋ねると「正直、1人も知らなかった」と素直に答えてくれた。チームは1年にして成らず。事情はさておき、ゴールド氏、クッツェー氏を1年で手放した無念を、払拭(ふっしょく)する目前にまでたどり着いた。


神戸製鋼マッケイヘッドコーチ
神戸製鋼マッケイヘッドコーチ

■待望の指揮官2シーズン目

 私がラグビー担当になった15年11月。当時のクッツェーHCはいつも、寒いグラウンドから引き揚げると、温かいコーヒーを片手にクラブハウスの一角で担当記者数人とラグビー談議をしてくれた。時には1時間近くになることもあった。その中でよく覚えている分析がある。

 「神戸の選手は素晴らしいポテンシャルを持っている。でも、クリーン(きれい)にやりすぎてしまう」

 2季前のシーズン終了後、クッツェー氏とは「また来年」と別れたのに、少し経つと、海の向こうから「南アフリカ代表HC就任」のニュースが飛び込んできた。契約の途中だったが神戸製鋼は送り出し、チーム関係者も「南アフリカ人の彼にとって、最高の名誉だから」と言っていたのが印象深い。

 神戸製鋼に長らく訪れていなかった「指揮官の2シーズン目」。チームは勝ちを重ねるごとに、まとまってきているように見える。何より、激しく、格上に真っ向からぶつかる赤のジャージーに胸が躍る。【松本航】


 ◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。兵庫・武庫荘総合高、大体大とラグビーに熱中。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当となり、15年11月から西日本の五輪競技を担当。