専門は100でなく、200メートル。ジャカルタ・アジア大会(18日開幕)ではチームの事情で、1600メートルリレーでの起用。ただ陸上男子短距離の飯塚翔太(27=ミズノ)は、20年東京オリンピックで金メダルを狙う400メートルリレーにおいて欠かせない存在だろう。当然、200メートル日本歴代2位の20秒11、100メートル10秒08の走力だけではない。

 日本歴代3位となる37秒85を出した5月のセイコー・ゴールデングランプリ大阪の後。日本陸連の土江寛裕五輪強化コーチ(44)は口にした。

 「技術的なことだけでなく、空気作り。そういうところは飯塚というリーダーがやってくれる。こんな感じでリオの時も作ってくれていたな」

 その日は個人種目から男子400メートルリレーまで空き時間はわずか約1時間半。調整は首脳陣の指示ではなく、選手に任せられていた。山県-飯塚-桐生-ケンブリッジの4人は、軽いジョギングでバトン渡しを確認していた。時に雑談も交えながら。その中心には飯塚がいた。パフォーマンスを最大限に発揮できる状態へ自然とチーム束ねていった。

 リレーチームの精神的支柱である。文字にすると何てことはない。ただ、この貢献度は計り知れない。

 言うまでもなくスプリント種目は個人で戦う。分かりやすくフィニッシュラインを一番速く駆け抜けた人が勝ち。試合の流れがある競技よりも、実力が結果となり、勝者と敗者を分ける。試合巧者で実力差を覆すのは、ほぼないと考えていい。そんな争いだから、選手は見た目は穏やかでも、内に壮絶な負けん気を秘める。日々の練習では自らに向き合い、個の強化に尽力し続ける。

 しかし、それは裏を返せば、組織全体をマネジメントできる視点を持った選手は希少にもなる。誤解を恐れずに言えば、桐生やサニブラウンは、このタイプのようにも思う。

 そんな個で戦う者たちが、リレーでは急にチームとなって戦う。考えてみれば、0・1秒の差は約1メートル8センチ。全速力で走りながら、約30センチのバトンを4人で受け渡す。紙一重の差も致命傷になりうる。時として、チームワークは個の力量にも勝る結果も及ぼす。

 チームの雰囲気作りについて飯塚に尋ねた。

 「考えていることはないんですけどね」と言い、少し悩むように目線を上げながら続けた。

 「別に気を使っているわけではなくて、僕がそういう雰囲気が好きだからやっているだけですかね。ピリピリしていい面もあると思うのですけど、最後は余裕がある方が走れるんですよね。その雰囲気が自分が好きだから作っていく。やりたくなっちゃうんですよね」。

 大したことではない、そんな表情で笑う。その振る舞いを自然にできるのが、リレーの日本の強さを支えているのだと実感する。

 過去のノートを見返してみると、昨季ブレイクし、初めて世界選手権の代表となった多田修平(22=関学大)も大会前に「飯塚さんが本当に優しくて、楽しい雰囲気で声をかけてくれました。『意地でもねじ込んで渡せ』とかアドバイスもくれました」と話していた。思い起こせば、16年リオデジャネイロ・オリンピック決勝の入場シーンでは緊張をほぐすために侍ポーズを考案し、結果は銀メダル。昨夏の世界選手権で銅メダル後、海外メディアからの英語インタビューに対応していたのも飯塚だった。久々のリレーの代表候補合宿だった今年5月に桐生も「飯塚さんに甘えてます」と笑っていた。一緒に戦う選手の言葉は、説得力を宿す。

 欧州遠征へ出発した6月30日。成田空港で取材を受け終わると、飯塚はロビーの椅子に腰を据え、ペンと便箋を持ち、思いを巡らせていた。聞けば、スポンサーである東洋ゴム工業の清水隆史社長から日本選手権優勝の祝電をもらい、その御礼の手紙を書いていた。メールやラインで事済ます時代。電子の文字に重みがないとは言わないが、手間のかかる直筆には心がにじむ。義理堅い。トラックの外でも、厚い人望の理由を知った。

 ジャカルタ・アジア大会では400メートルリレーではなく、専門外の1600メートルリレーを走る。派遣できる選手の数が限られており、1600メートルリレーは層が薄いとの事情による今大会だけの限定登板だが「いいように使われてないかな」と心配する関係者もいる。幅広い距離をこなせる能力、チームを結束させる心配り。替えが利かないからこそ、重宝されすぎる面が大きい。飯塚のこれまでを振り返れば、その場しのぎの便利屋でなく屋台骨だ。400メートルリレーで、9秒台ランナー1人だけの日本が、世界の強豪たる要因はバトンワークだけではない。強い組織には決まって、いいリーダーが存在する。【上田悠太】

 ◆上田悠太(うえだ・ゆうた)1989年(平元)7月17日、千葉・市川市生まれ。明大を卒業後、14年入社。芸能、サッカー担当を経て、16年秋から陸上など五輪種目を担当。