陸上男子100メートルの山県亮太(26=セイコー)の9秒台は来季へお預けとなった。今季の個人最終戦となる福井国体は、3本とも強い向かい風と悪条件に泣いた。「9秒台が出ていた方が来年の春の気持ちは楽だったかな」と口にしたが、同時にこうも将来像を語った。

「来年、再来年と記録を出すチャンスはある。その中で9秒台、9秒9台前半、それ以上の記録を出していけたら」

その言葉は背伸びではないだろう。

国内で9秒台を期待されるスプリンターの場合、会心の走りをした上で好条件。その2つを満たして、「10秒の壁」を突破できる可能性があるとされる。

山県は違う。高い次元で安定しているから、好条件さえそろえば、突破できる力がある。16年5月以降、公認記録の条件下で、10度の10秒0台をマーク。うち10秒05以内の6度は、すべて追い風0・8メートル以内、だから数字以上の価値も含む。直近2大会の決勝成績は10秒00(追い風0・8メートル)と10秒01(無風)。あとは自分でコントロールできない天候次第だ。福井国体では広島代表ということもあり「あやかろう」とセ・リーグを3連覇した広島のマスコット「カープ坊や」がプリントされたボクサーパンツを履き、縁起を担いだのもうなずける。

日本人には負けなしだった今季は「成長を実感できた年」と振り返る。それは言葉の変化からも見える。8月26日、ジャカルタ・アジア大会。10秒00で自己記録に並んだが、蘇炳添(中国)とT・オグノテ(カタール)に敗れ、銅メダル。取材エリアで発した一言目は「正直に言うと悔しい」だった。今、振り返っても「10秒00という記録を出しても悔しいと思った。蘇選手と何が違うんだろう」と同じだ。

その336日前、昨年9月24日。全日本実業団対抗選手権で自己記録を100分の3秒更新する10秒00で制した。その当時。「喜びが強い」と語っている。

同じタイムでも湧く感情は正反対。もちろん2度の世界選手権決勝に進んでいる蘇に差を見せつけられたのもある。ただ、自分への期待値が高まっている部分も大きい。それは何よりも地力が上がっている証拠でもある。

今季の山県が何度も繰り返す言葉がある。「前のレースよりいい内容にしたい」。書くと何のことはない。だから、その言葉が原稿になることは少ない。ただ、レース後の山県を追うと、腰を据え、スマートフォンを見つめ続ける姿がある。時に視線を上げながら、思慮を巡らす。仲田健トレーナー(49)や瀬田川歩マネジャー(26)と一緒に。その積み重ねが、高いレベルで安定した成績を残す一番の要因だと自認する。

「レース」だけでなく、「練習」もそうだ。1本1本、動画を撮影し、確認している。流し走でも、短い距離でも。改善点を確認し、整理して、次につなげる作業を繰り返す。もう、それを3年以上。飽きもせず。小さな修正を積みに積んで培っている。

「記録が出るのは、段階的なのかなと思う。今はもう一皮むけるチャンスだと捉えている。この時期を乗り越えれば、大きな記録が待っていると自分を納得させている」

立ちはだかる「10秒の壁」の前で、己と向き合い、もがいている。出そうで出ない、もどかしさも、この先に待つ大きな飛躍の余地と信じる。そして壁を1度、乗り越えたら。9秒台が当たり前になる…。今の山県を見ていると、そんな気がしてならない。【上田悠太】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆上田悠太(うえだ・ゆうた)1989年(平元)7月17日、千葉・市川市生まれ。明大を卒業後、14年入社。芸能、サッカー担当を経て、16年秋から陸上など五輪種目を担当。

成年男子100メートル決勝 向かい風5メートルのなか山県が優勝する(2018年10月6日撮影)
成年男子100メートル決勝 向かい風5メートルのなか山県が優勝する(2018年10月6日撮影)