大注目の陸上日本選手権男子100メートル決勝は28日、福岡・博多の森陸上競技場で行われる。

今季9秒97の日本新記録を樹立したサニブラウン・ハキーム(20=フロリダ大)を軸に、前日本記録の9秒98を誇る桐生祥秀(23=日本生命)や、27日の準決勝でサニブラウンに次ぐ10秒09で決勝進出を決めた小池祐貴(24=住友電工)らが優勝候補。その決勝でサニブラウンと真横の3レーンを走る男が、準決勝で自己記録タイの10秒24をマークした川上拓也(24=大阪ガス)だ。

6年前の春。東海大浦安高3年の川上は、千葉県内で家族と焼き肉ランチをしていた。食事の合間に何げなく開いた携帯電話。飛び込んできた「桐生、10秒01」の文字を、今も忘れない。当時洛南高(京都)3年の桐生が、織田記念国際で出した10秒01の好記録に「何かの間違いかな!? ありえへん!」と驚いた。短距離界のスターへと上り詰める同学年の姿が、はるか遠くに感じた。

千葉県出身の川上が陸上を始めたのは中1だった。友人に「入ろうよ」と誘われ、陸上部への入部届を出した。

「足はクラスで3番目ぐらい。入る部活を迷っていたら誘われたんですが、陸上部のウインドブレーカーが格好良くて『欲しい!』ってなりました。小学校の頃はサッカーをやっていたけれど、桐生とかみたいに『ちゃんとやっていた』のではなく、遊びみたいなもので…」

中2までは思ったような活躍ができず、心の中では「辞めたいな」と考えていた。100メートルの自己記録は12秒03。中2で11秒25の桐生とは、その時点でも差があった。

だが、転機は突然訪れた。3年になり、厳しかった顧問の異動が決定。去り際に、言葉をかけてくれた。

「全国大会に行けるから、頑張れよ」

無名な自分に対する期待を知り、それはモチベーションへと変化した。

「陸上を好きになって、スパイクについても自分で調べるようになりました。中2までは土兼用を履いていたけれど、中3でオールウエザー(ゴムのトラック用)があることを知って、それを使うようになった。記録が伸びていくと、陸上がもっと楽しくなった」

3年時は師の言葉通りに全国大会初出場。それでも当時の中学記録となる100メートル10秒64をマークした日吉克実や、桐生らは遠くにいた。

「その辺りの速いメンバーにはコミュニティーがあって、僕はその外にいました(笑い)」

東海大浦安高、中央大、そして大阪ガス入社後も、常に同学年の桐生や小池の背中を追ってきた。高校では2人との接点も増え、国際大会ではゲームをする仲にもなっていたが、実力差を痛感する場面は変わらず多かった。17年9月に桐生が日本人初の9秒台をたたき出した日本学生対校選手権も、同じレースを走っていた。

「桐生、小池、日吉…。みんなに勝ちたい気持ちはずっとあります」

迎えた今季。2月に英バーミンガムで行われた室内競技会男子60メートルで、6秒54の室内日本新記録をマーク。朝原宣治が1997年に樹立した記録を、22年ぶりに0秒01更新した。技術は大きく変えていなかったというが、オフにスタートからの1次加速でスムーズに足を動かす方法を見つけた。得意の序盤をさらに磨き、主戦場の100メートルでも記録が向上。そして、博多にやって来た。

日本選手権の決勝進出は過去1度。17年大会(大阪)で5位となったが「当時の力は出し切れた。ただ、(サニブラウン)ハキームには60メートルの時点で抜かれ、多田も速かった」と満足している様子はない。

川上は強いライバルが数多くいる、現在の男子短距離界を歓迎する。

「僕は『この世代で良かった』って思っています。モチベーションになる。100メートルが盛り上がっている中で、去年まで『役者』の中に入れていないのは、自分でも分かっている。僕も競技者としてやっている身としては(100メートルを)盛り上げる1人でありたい。盛り上がっている中でも、もっと盛り上げる役者になりたい」

さらに力を込めた。

「座右の銘は中3の時の担任に言われた『自分の人生、自分が主役』です。(今後も同世代を)ずっと追いかけていく、追いつきたい気持ちは変わらない」

2年前の決勝は追い風0・6メートルでの10秒38。成長を証明し、同学年のライバルたちと競い合う舞台が、まもなくやってくる。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当し、平昌五輪ではフィギュアスケートとショートトラックを中心に取材。

19年6月27日、陸上日本選手権男子100メートル予選 1着で予選を通過した川上拓也(右)と2着のケンブリッジ飛鳥(右から2人目)
19年6月27日、陸上日本選手権男子100メートル予選 1着で予選を通過した川上拓也(右)と2着のケンブリッジ飛鳥(右から2人目)
19年6月27日、陸上日本選手権男子100メートル準決勝2組を1位でゴールしたサニブラウン(中央)。左は川上(撮影・鈴木みどり)
19年6月27日、陸上日本選手権男子100メートル準決勝2組を1位でゴールしたサニブラウン(中央)。左は川上(撮影・鈴木みどり)