今でも鮮明に思い出す言葉がある。「五輪に1度、出てしまうとそうなる」。現役である限り自然と4年に1度を目指してしまう-。五輪の魅力を端的に表す言葉だった。

14年2月19日、フィギュアスケート男子の高橋大輔は、ソチ五輪のサブリンクの外にいた。当時27歳。3度目の五輪は右膝のけがで不完全燃焼の6位だった。1対1で向き合った銅メダリストに、けがを完治させて次の世界選手権でノーミスの演技をして引退、という選択肢はないのか?という質問をした。高橋は笑って否定。その上で「やっぱり4年スパンで自然と考えるので。次、どうせやるなら、4年後の五輪を目指してしまうので」と自然体で言った。

当時「4年後の五輪」は31歳で迎える平昌五輪だった。その言葉を聞いた時に、記者は「え? 平昌?」と思わず聞き返した。現役続行はあると思っていたが、まさか平昌五輪とは…。その驚きが顔にも言葉にも出てしまった。すぐに「しまった」と思ったが、高橋はにこやかな顔で「五輪に1度、出てしまうとそうなる」とさらりと言った。

当時でもかなり驚いたが、4度目の五輪は、35歳で迎える22年北京五輪になるかもしれない。それもアイスダンスで。18年平昌五輪代表の村元哉中(26)とカップルを結成して来年1月から始動する。高橋がいつも見せる柔和な顔の奥にある、スケートに対する探求心、五輪に向かう意思は、晴れ渡っていたソチのあの日と変わらないのだろう。

高橋の男子シングルは、全日本選手権(12月18~22日、代々木第1体育館)がラストだ。高橋は「僕のわがまま。前回の引退(14年9月)は中途半端にフェードアウトしたので」と言う。ソチ五輪後は右膝のけがで日本開催の世界選手権を辞退。そのまま競技会に出ることなく、半年後に引退を表明している。今年の全日本は支えてくれた人たちにシングルでの「ラストダンス」を披露する場になる。

注目のジャンプがある。4回転トーループだ。高橋は右膝痛のソチで4回転トーループに成功できなかった。練習と試合を合わせて、24回挑んで24回連続失敗。昨年の全日本選手権は、当日の練習で4回転トーループをクリーンに成功。4年越しで因縁のジャンプを成功させるかと思われたが、フリー冒頭で挑んで、無念の3回転となった。

今年の全日本で4回転トーループに挑むのか。高橋は「(4回転を入れるかどうか)今は考えてない。3カ月、マックスで練習してやれるところまでやる。でもショートプログラム(で入れるのは)は無理。フリーで柔軟に」と言った。当日のコンディションにもよるが、4回転トーループにトライするとしても、フリー冒頭の1度きりだろう。

男子は複数の4回転を跳ぶ時代になった。トーループは4回転の中で最もポピュラーなジャンプだ。競技としてみれば、ありふれた1本のジャンプかもしれない。ただ高橋にとっては、新境地に向かう前の、惜別のジャンプとなるはずだ。シングル最終演技、静寂の中で臨むフリー冒頭。成功でも、失敗でも、固唾(かたず)をのんで見守ることになるだろう。【益田一弘】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の43歳。大学時代はボクシング部。五輪は14年ソチ大会、16年リオデジャネイロ大会、18年平昌大会を取材した。16年11月から五輪班キャップで、主に水泳を担当している。