それでも、復帰したときに決めた平昌五輪の夢があった。今季、膝を守るため、トリプルアクセルを封印した。解禁したのは、昨年12月の全日本選手権。直前まで、1度もきれいに跳べていなかった。それでも急きょ数日前にトレーナーを呼び寄せていた。SP8位で迎えたフリーの日。本番から5時間半前、浅田はもう赤い口紅をひいていた。音楽を聴きながら鋭い目つきで会場入り。「何がなんでもまわりきる」と心に決めていた。頑固な浅田の姿が戻っていた。

 トリプルアクセルを含む「自分らしい」フリーを演じたが、自己最悪の総合12位。その得点を見た時「もういいかもしれないと思った。12歳から出場して一番、残念な結果で終わってしまった。決断に至るにあたって、1つの大きな出来事だった」と明かした。それから2カ月。「言ったことは今までやり通してきたので、(諦めることへの)葛藤がずっとあった」。でも、戦う気力は戻らなかった。体力、気力ともに出し切った全日本選手権後「疲れ切っていた」と関係者は明かす。だからこそ、ここで終えても「悔いはない」と決断できた。

 世界選手権は3度、全日本選手権は6度も制した一方、2度の五輪は銀と6位。キャリアで唯一、五輪タイトルは無縁だったが、悔いはない。「1度だけ過去に戻って、自分にアドバイスをするなら?」と聞かれても「戻ることはないので、パッとは出てこないですね」と答え、五輪について問われると「素晴らしい舞台」と言った。

 「一言で言うと人生かな」というフィギュアスケート。53分間の会見で、ケガのことは一切触れず、後悔は口にしなかった。晴れやかな心を白い衣装に重ね、「26歳までやって、全てやり切って悔いはない。もう1度、生まれ変わるならスケートの道はないと思います」と笑顔で言い切った。【高場泉穂】