女子テニスの元世界ランキング4位で2度目の引退を表明した伊達公子(46=エステティックTBC)が最後の大会となるジャパン女子オープン(11~17日、東京有明テニスの森公園)開幕を控えた7日、現役引退発表会見を行った。ジャケット姿でコートに姿を現し、2度目の引退を決めた心境を語った。

 昨年の2月に続き今年4月に左膝の手術を受けた。

 「5月に復帰戦を岐阜で果たしまして、その後からも当然万全という状態にはなかなかいかなかった現実がありまして。それでも気持ちが衰えることはなかったですし、もどかしさを感じることは多くはなってきてはいたんですが、それでも時間をかければ必ずできるという思いをずっと持ち続けていたんですが、復帰を果たして、そのなかでグランドスラムの予選にもう一度プレーしたいという強い思いを持っていたんですが、7月に米国遠征で3週間戦って帰ってきて、ひざに加えて肩の問題も抱えて、ドクターとも話し、少しずつ決断しなければいけない時期かなと思った」。

 決断は8月上旬だった。

 「ひざだけでも難しい状況で肩も…。二重苦、三重苦、四重苦かもしれないんですけど、段階を踏んで最終的に決断がいつか言うのは難しいが、気持ちが固まったのは8月上旬だった記憶があります」。

 引退の場所は日本、東京に決めた。

 「自分の体と相談すること、自分の思いを考えていると、いまの私には東京でプレーすること、最後に戦う場所は東京にしたいという思いが非常に強くて。ファーストキャリアの最後は米国で、引退試合はNYでした。セレモニーーもしないでファーストキャリアを終えたのは長い間ファン、周りの人たちにも言ってもらうことがあった。それで東京にしたいなと」。

 37歳で始めた再チャレンジの思い出については。

 「すべてがチャレンジの連続だったので、たくさんあるんですけど、時系列で思い出せば、もともと始めたときは世界レベルで戦うことを目標に再チャレンジを始めたわけではなかった。全日本を目標にしていた。そのための準備でITFの大会に出てランキングがついてきて、気がつけばグランドスラムの予選に挑戦できるところまできていて、(09年に)全豪で本戦に出場もできて、その試合も私にとっては思い出に残ってます。強いてあげるなら、11年ウィンブルドンのビーナス(・ウィリアムズ)戦が、勝負には負けたが、スピードテニスに対して、自分の展開の速い、ネットプレーをミックスして対抗できるテニスをできたのが1つ。そしてその日は雨が降って屋根閉めてプレーしたが、(96年大会のグラフ戦は)日没サスペンデッドで2日間やった私が、屋根を閉めた中でプレーできたのも思い出深いですね。雨だったので試合後に控室で、年齢変わらないコーチ陣とか、本当にたくさんの、普段はライバル同士の選手もたくさんの選手が声をかけてくれて、『リスペクトする』と声をかけてくれて、それは本当に忘れられない試合になってます」。

 引退試合に向けてのコンディションは。

 「会場入りしたのが今日が最初になるんですが、久々に外のコートで練習して、雨が降ってきて、コロシアムで練習させてもらった。もう立てないと思っていたが、やはり気持ちいいなと強く思っていたんですが、実際、いまの状態というのは、う~ん、どうですかね、何をもって良い悪いと言えばいいのか表現が難しいんですが、問題はいまはひざよりもどっちですかね。ひざは停滞気味ですかね。良くなることがないと思って引退を考えましたし。痛みというと肩の方が大きいですし、8月に米国から帰ってきた時は痛みがひどくて、日常生活でも痛みが出る状態から有明に間に合うかなどうかなと。なんとかフルサポートでコートに立てる状態まで来ているが、本来のプレーが何%までできるかはふたを開けてみないと分からない、あとはアドレナリンがでて痛みを忘れられるか。プラス最後の試合と思うと、コートに立てばいろんな思いは出てくると思うので何か見えない力が最後に働いてくれると信じてコートに立ちたい」。

 伊達はシングルス1回戦を12日に予定している。